尾っぽが9本あるキツネ2012年01月27日 22時03分14秒

0127九尾のキツネ(淡路人形芝居)
1月27日『尾っぽが9本あるキツネ』

国立劇場で淡路人形芝居を観てきました。人形浄瑠璃発祥の地として知られる淡路島では、500年前から人形芝居が行われ、最盛期には40もの座か活動していたそうです。
今日の演目は玉藻前(たまものまえ)。これは尾っぽが9本あるキツネが美女に化けインド(天竺)、中国(唐土)、そして日本の国家転覆を企むというスケールが大きく奇想天外な物語です。
三段目の切(きり)は、「素晴らしい日本刀か娘の首のどちらかを差し出せ」と言われた母親が、二人の娘を双六で競わせ、負けた方を差し出そうとするというお話??
四段目の口(くち)では、九尾のキツネが姫を食い殺し、まんまとその姿に化けます(写真)。
五段目の大切(おおぎり)では、キツネが姫や僧などいろいろな姿に身を変化させるのですが、その時に人形だけでなく、人形遣いも同時に早替わりをする、とっても楽しいものでした。
このキツネの七変化は昔は他の芝居でも行われていたのですが、現在ではこの作品だけにしか残っていないとのこと。とても貴重なものを観ることができました。

ところでふだん文楽では義太夫さんも三味線弾きも男性ですが、今日の淡路人形芝居ではほとんどが女性で驚きました。特に三味線は三段目でも(←たぶん)、そして五段目でも途中で弦が切れてしまい、張り直していました。それぐらい迫力がある演奏でしたよ。

さて、今日も東京は風が冷たく寒い1日でした。インフルエンザが大流行の兆しだそうです。うがい手洗いをお忘れなく、そして暖かくしてお休みくださいね。それでは今日はこの辺で。皆さん、お休みなさい。

ビールの飲み逃げは許さないぞ(笑)!2012年01月26日 19時20分29秒

0126校庭に並んだ雪だるま
1月26日『ビールの飲み逃げは許さないぞ(笑)!』

雪だるま
おととい(24日)に降った雪が、積もりました。広い校庭にはいくつもの雪だるまが並んでいました。大学生になっても(しかも試験期間中なのに!)、雪遊びって楽しいものですよね。

言いにく~い!
いつもニュースを見ながら娘たちと話をするのですが、「マサチューセッツ州知事(シュウチジ)」って言いにくくありませんか?最近人気のアイドル、「きゃりーぱみゅぱみゅ」って噛まずに言えますか?昔、NHK手話ニュースのキャスター時代、「高速増殖炉(コウソクゾウソクリョ)もんじゅ」がうまく言えませんでした・・・。

ペナルティ?
私が応援しているサッカーJ2の湘南ベルマーレ。今シーズンのユニフォームサプライヤー(提供)がペナルティーというスポーツメーカーに決定しました。でも確かペナルティーというのは「反則」とか「罰則」という意味ですよね。胸に「ペナルティー」と記されているユニフォームってどうなんでしょうね?私はあんまり着たくないなぁ。

ビール
ガーデニング(畑仕事)が好きな友人から聞いた話。畑になめくじがたくさん出るので困っていたら、「皿になめくじが好きなビールを入れておくと良い」と聞き、試してみました。すると翌朝、酔ったなめくじたちがビールの中で溺れ死んでいます。そうやってときどき駆除していたのですが、ある日ふと、いつも自分が飲んでいるアサヒスーパードライ(250円)をなめくじに飲ませるのはもったいないと思い、110円のビール(発泡酒)に切り替えたそうです。ところが次の日見てみると、なめくじたちはビールの中をスーイスーイと気持ちよく泳いでいたそうです。ビールを飲み逃げされた!とその友人は憤慨していましたよ(笑)。

時代の先頭を歩く者は常に・・・2012年01月25日 11時22分10秒

0125東京国立近代美術館
1月25日『時代の先頭を歩く者は常に・・・』

先日、東京国立近代美術館に「ぬぐ絵画・日本のヌード1880‐1945」展を見に行ってきました。
画家なら誰でも美しいものを描いてみたいと思うはず。女性の美しい姿を描くというのはごく自然のことでしょう。しかし、明治から大正、そして戦中の日本で女性の(あるいは男性の)裸を描くということは、そうとうな批判や攻撃を受けながらの活動だったことと想像されます。

今までもマネとかルノアールなど西洋画の裸婦はよく見てきましたが、ここの登場する女性たちは(当然のことながら)みな日本髪を結っています。それが一番驚いた点です。
作品の中ではもちろん黒田清輝氏の智・感・情(写真)がハイライトなのでしょうが、私が印象的だったのは25番ラファエル・コラン氏の「静寂」、26番和田英作氏の「こだま」、61番、62番甲斐庄楠音氏の「裸婦」の4作品でした。

さて、作品の中には公開当時、女性の下半身を見せないように布で隠したというものもあったのですが、その後常設展では大辻清司氏の「ゆあみ」というブロンズ像を見ました。こちらの作品は裸の女性の全身がそのまま表現されています。薄い布で体を隠そうとしていますが、結果的にはうまく隠せていません。にも関らず、公開当時からあまり問題視されなかったそうです。その作品を見ていて、私は次のようなことを考えました。
昔の日本人が芸術作品を見たときに「全身が表現されているかどうか」という結果が問題なのではなく、作品の「精神構造」が問題だったのではないかということです。つまり、例えばボディビルダーのように「自分の美しい肉体を他人に見られることこそが喜びだ」というごく一部の人を除けば、多くの人は自分の裸を他人に見られるのは恥ずかしくて嫌だと思っていることでしょう。その気持ちこそが大切だったのではないでしょうか?つまり「ゆあみ」は結果的にあんな薄い布で自分の全身を隠すことはできないのですが、精神構造としては恥ずかしい・隠したいと思っている、そのような「恥」の文化を感じられる作品として時代に受け入れられたのではないのかな?ふと、そんな当時の社会を勝手に想像しながら美術館を後にしました。

ちなみに、「ぬぐ絵画」展は1月15日に終了しています、すみません。