日本的な時の流れ2011年07月01日 21時20分17秒

ある知人からこんな話を聞きました。

「私は子どもの時からずっと箏を、そして妹はピアノを習っていました。妹に箏を教えたときに妹は西洋的に音楽をとらえているので、どうもうまく伝わりません。ここはどのくらいのスピード?ここは何拍休む?と聞いてくるのですが、邦楽の場合は何拍というものはありません。師匠の「よっ」とか、三味線の「はっ」というタイミングに合わせて弾きます。間の取り方からその日の師匠の体調の善し悪しさえもわかるのです

なるほど。確かに西洋音楽の場合は楽譜に書かれた記号や音符に合わせて正確にリズムを刻んでいきますが、邦楽の場合は「呼吸」とか「間」というものが大切なのでしょう。

それで思い出したことがあります。昔日本では時刻を表すのに「不定時法」というものが使われていました。人々が目を覚ます日の出を「明け六つ」、床につく日没を「暮れ六つ」と定め、その間を6等分します。当然夏と冬では昼の長さが違ってきます。例えば、夏至では昼が15時間51分ですから昼の一刻の長さは2時間38分なのに対して、夜の一刻の長さは1時間21分です。これが冬至では昼は1時間50分、夜は2時間10分になります。しかし、人々が時計などを持っていない時代、太陽の位置で時刻がわかる「不定時法」はとても便利なしくみだったのではないでしょうか?

1時間は60分、1日は24時間であることに何の必然があるのでしょうか?

楽しいひとときはあっという間に過ぎ、たいくつな時はなかなか時間が進みません。

ある意味私たち日本人は、秒針やメトロノームに縛られず自然と一体化して日々を過ごしていたのかもしれないなぁ、そんなことを考えていました。


0701さくらんぼ

コメント

_ 筝 ― 2011年07月01日 23時27分14秒

こんなブログ(文章)に出逢えるとたのしいな~。いっぺんに一日が豊かになります。豊かさは限られた時間であっても長い時間と感じられることもあります。

_ 釈千手 ― 2011年07月02日 07時48分19秒

箏さんへ
コメントありがとうございます。自分のために日々書いているブログですが、このような感想をいただけるとうれしくなります。
さて、今日は明け六つから暮れ六つまでどのようにして過ごしましょうか。

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