勇ましい軍艦の絵2011年10月01日 13時28分45秒

10/3待合室にある軍艦の絵
(1)白紙同盟
NHKの朝ドラ「おひさま」、今日が最終回でした。黒柳徹子さんが今の育子役、そして司葉子さんが真知子役として登場しました。まさに白紙同盟そろい踏みですね。

(2)ああ失敗
火曜日から、首の痛みが続いていました。今週はずっと忙しかったのですが、今日やっと整形外科に行ってきました。
医院までは歩いて20分ぐらい。到着して初診の手続きをしていると、「この保険証、昨日で有効期限が切れています・・・」と言われてしまいました。えっ昨日で!ちゃんと確認しなかった私が悪いのですが、新しい保険証が家に届いていたのならちゃんと教えてくれなくちゃ・・・。

(3)臓器提供意志カード
再度家に戻り、まるで空き巣のように、あちこち引き出しを開けまくってやっと新しい保険証を発見。今度こそ間違いないだろうとその保険証を確認してみると・・・新しい保険証はウラが臓器提供意志カードになっています!とっても良いことだと思いました。別に臓器カードを持つ必要がなくなり、これからはこの1枚で済みますね。

(4)自分の本当の顔を見て
さて、いろいろありましたが無事に診察を受けることができました。頭部のレントゲン写真を見ると、当たり前ですが骨しか写っていません。私の頭は上を見たり下を見たり、正面を見たりしています・・・改めて自分の顔の皮と肉の下はガイコツなんだなぁと思い知らされました。首の6番目と7番目の骨の間が少し狭くなっているものの、骨には異常がないとのこと。少し安心しました。念のために痛み止め薬を処方してもらいました。

(5)いきなり首に・・・
それから首にブロック注射をしました。別に首に注射をすることは怖くはありませんが、「むこう側を向いてください」と言われてから、しばらく待たされました。医師と看護師がふたりで準備をしているようです。カチャカチャとパソコンのキーボードを操作する音、カチカチと注射器やガラス器具などがふれあう音だけが聞こえてきます。目の前に注射針とか薬品が見えないと、逆に何だかちょっと不安ですよね。しばらくして「ちょっとチクッとしますよ」と言われた瞬間、首の後ろに2回注射針が刺さりました。

(6)勇ましい軍艦の絵
ところで皆さん、街の整形外科医院というと、院内の壁には癒し系のパステル画とか風景画が掛かっていたり、室内にはヒーリング系の音楽が流れていたりする印象がありますよね。ところがこの医院の待合室に音楽は全く流れていません。そしてなぜか「勇ましい軍艦」の絵が掛かっています。処置室にも「波をかぶった日本軍の戦艦」の絵が!院長さんの趣味なのでしょうか?私は特に違和感はありませんが、他の患者さんはどうなんでしょうかねぇ。年配の患者さんが多いのでむしろ評判はよいのでしょうか?(軍艦を観て元気が出るとか?)
※この日は写真を撮れなかったので、本日(10/3)再度通院したときの写真をアップしておきますね。

(7)風の盆に花電車
今日は下町はいろいろな行事があります。白山では「おわら風の盆」、そして都電荒川線では、33年ぶりに「花電車」が走ります。病院がなければそのどちらか、または両方に行く予定だったのですが、無理をするとまた体調を崩してしまいそうなのであきらめました。今日のところは我慢、我慢。

今日の歩数は1万969歩、9km、次の岩本寺までは59kmとなりました。

96人のナースの卵たち2011年10月02日 20時50分40秒

1001戴帽式
私が手話を教えている大学の看護学部で、戴帽式(たいぼうしき)が行われました。戴帽式とは看護学校などで学生たちが、病院実習を始める前に、ひとりひとり教官から頭の上にナースキャップをのせてもらい、ナイチンゲール像の前で誓いのことばを述べるという儀式です。しかし、近年ではキャップを固めるのりが院内感染の原因のひとつになっているという理由から、行わない学校も増えているそうです。

確かに古くさい儀式なのかもしれませんが、参加している私たちにも学生たちの決意や緊張が伝わってきますし、ご両親にとっても自分の娘たちの晴れ姿に感動で胸がいっぱいになるのではないでしょうか。
(今日では大学の卒業式でも、成人式でも、こんなに静かで厳粛な式典というものに、まずお目にかかれないと思いますよ!)

さて、式典の後は祝賀パーティー(立食)です。こちらは一転して、とても楽しい雰囲気です。最初に「この戴帽式は5月に行う予定でしたが、震災の影響で約5ヶ月遅れてしまいました。『待望の戴帽式』です」というまさに禁断のおやじギャク入り(笑)の学長あいさつで開会。来賓のあいさつが長くなりそうになるとキーンコーン・カーンコーンとタイミング良く、チャイムが鳴ったりして思わず笑ってしまいました。
乾杯の後で学生たちが一斉に自分の食べ物を取りに行きます。そこで私は近くの学生たちに、「待って。まずは先生やご両親のところに食事と飲み物を持って行きなさい。自分たちが食べるのはその後でしょ!」と注意をしました。

お腹も満たされてくると、みんなで記念写真ですね。私はできるだけ学生たちからカメラやケータイを預かって写真を撮ったり、いっしょに記念写真に入れてもらったりしていました。会場には専門のカメラマンもいて、みんなに大きな口を開けさせたり、変顔をさせて面白い写真を撮ろうとします。ずいぶんいろいろな写真を撮りましたが、一番盛り上がったのは口にパセリを加えた写真でしょうかねぇ。

この大学では開校以来、看護士試験の合格率が95%を下回ったことがないとのこと。ちょっとプレッシャーですが、皆さん、今日の感動を忘れずに立派なナースを目指して、残りの1年半頑張ってくださいね。
戴帽生の皆さんおめでとうございます!そして素敵な式典と楽しいパーティーをありがとうございました。

今日の歩数は9215歩、7km、次の岩本寺までは52kmとなりました。

手拍子はありがた迷惑??2011年10月03日 16時35分50秒

文京シビックセンター大ホール
文京シビックセンターで行われた「文の京 秋のバンド・フェスティバル」に行ってきました。
いくつかのオーケストラに混じって、次女が所属する中学校の吹奏楽部もこのフェスティバルに出演させてもらったためです。娘にとっては学校の運動会などで演奏したのを除いて、大勢の人たちに聴いていただく演奏デビューとなりました。

尚美ウインド&シエナ合同オーケストラによる、4本のサクソフォンのためのコンチェルトや、新日本フィルの奥村晃さん(トロンボーン)をゲストに迎えた東海大学高輪台高校吹奏楽部によるスライダーズ・ミックスなどの名演奏を楽しみました。
娘たちはパイレーツ・オブ・カリビアンとイン・ザ・ムードの2曲を演奏しましたが、リズムの良い音楽に途中で会場から手拍子が沸き起こりました。

夕方、帰宅した娘に感想を聞いたら、演奏中に遅れて手拍子の音が耳に入ってきてとてもやりづらかったと言います。えっ!と思ったのですが、広いホールでのこと、自分たちの演奏は空気を伝わってやや遅れて観客の耳に届きます。そしてその観客の手拍子がさらに遅れて演奏者の耳に伝わってきます。そのためにそれを聴いているとリズムが狂ってしまうとのこと。必死に先生の指揮を見ていたと話してくれました。なるほど、「客席からの手拍子でやりやすい!」とはならないのですね。

きっとプロの歌手や演奏家にとってはそんなことは当たり前のことでしょうが、初めて大勢の人たちの前で演奏する中学生にとっては戸惑ったことでしょう。まぁそれも良い経験になったかな?
何事も体験してみないとわからないものですね。出演者の皆さん、素晴らしい演奏をありがとうございました。

極楽鳥(ごくらくちょう)のいた夏2011年10月04日 20時41分53秒

1004極楽鳥
ハヤマ荘に極楽鳥がいることは誰にも話さないこと
落ちたヒナを再び巣に戻してはいけない

大じいちゃん(ボクのひいおじいちゃん)はこの2つのことだけは絶対に守るようにといつも家族に話していた。
極楽鳥は、毎年夏休みになりボクたちがハヤマ荘(神奈川県葉山町)に行く頃になると現れ、巣を作り始める。子育てをして、夏休みが終わる頃になると飛び立っていく。だから小学生の頃、毎年ボクは極楽鳥を見るのを楽しみにしていたのだ。

ハヤマ荘は、山の斜面に建てられていて、緩やかなろうかと階段がある。そしてその両側にはいくつもの部屋がある。建物は一階建てなのだが、実は一番下の部屋と一番奥の部屋の高低差は四階ぐらいあるのだ。昔はここは旅館だったそうだ。夏になると珍しい鳥が来るという噂が広がり一時はその鳥を目当てにお客が大勢来るようになった。それから2年か3年後には極楽鳥も来なくなり、客足も途絶え、旅館は閉館(倒産)した。
大じいちゃんは、「極楽鳥を商売のネタにしたからだ」といつも言っていたが、高橋の家のみんなは「大じいちゃんに経営能力がなかったせいだ」と影ではいつも話をしていた。

確かに大じいちゃんの言うことはいつもちょっと怪しいのだ。例えばハヤマ荘の階段は全部で八十八段あると言うが、ボクが夏休みに長い廊下を登りながら階段を数えてみると実際には七十七段、(年によっては七十八段のこともある)しかない。

ある日の夕食でボクが「大じいちゃん、極楽鳥はどこから飛んでくるの?」と訊いたら「アフリカから飛んでくるだ」と答えた。すると高橋の家の人たちはみんなで大笑いをした。「本当はフィリピンだけどね」と誰かが小声で教えてくれた。

ハヤマ荘は、極楽鳥の騒ぎがあってから旅館はやめていたのだけど、高橋の家では特にお金にも困っていなかったし、また、たぶん売却できる物件でもなかったのだろう、夏休みや冬休みに過ごす別荘のようなものになっていた。すると、いつの間(昭和40年頃?)にか、また極楽鳥が夏に飛来するようになっていた。しかし、大じいちゃんは家族に「絶対に他の人には言ってはいけない」といつも言っていた。よっぽど以前の倒産のことがきになっていたからだろう。ボクは夏休み明けの新学期に何度も友だちのトヨケンや遠藤君たちに極楽鳥のことを自慢しそうになったり、つい絵日記に書きそうになったことがある。でもボクは大じいちゃんとの約束だけは守って、今まで誰にも話したことはない。

ある日、巣から一匹のヒナが落ちた。貞枝おばちゃんがかわいそうに思いこっそりヒナを巣に戻したことがわかると大じいちゃんは大声で怒った。「貞枝さん!極楽鳥はアフリカまで飛んで帰れないヒナだけを選別して巣の外に捨てているんですよ。だってこのヒナたちは一日に八十八匹もの生きた虫を食べるのです。お父さん鳥もお母さん鳥も毎日大変だ。できれば全部のヒナを育てたい。でも、遠くまで飛べない弱いヒナにエサをやる余裕などないんですよ!」と大声で怒鳴った。そして「それともあなたが生きたエサを捕まえてきてあげますか?この子たちが一日に食べる八十八匹もの生きた虫を捕まえられますか?」と続けたのだ。でも大じいちゃんやボクたちこともが寝た後、高橋の家の人たちが「くそじじい、早く死ね」と話していたのを聞いたことがある。

いつの間にかボクは中学に入り、夏休みにハヤマ荘に行かなくなった。たまに行くとしても一泊か二泊で、その頃果たして極楽鳥が来ているのかどうかも知らないまま夏を葉山の海で過ごすことになっていた。

大学に進学したボクはハヤマ荘のことなどすっかり忘れていた。
ところがある日大学の図書室で今世紀に絶滅した動物・鳥類の資料を見ていたら、突然ボクの眼に幼い日に見た極楽鳥の写真が飛び込んできた。ハミングバードにもちょっと似たその色彩鮮やかな鳥には、英文の長い学術名が付けられていて、日本でも数羽観察されたことがあると記されていた。原産地の欄には「アフリカ大陸」と書いてあった。

それからさらに30年間、ボクは大じいちゃんのことも極楽鳥のこともすっかり忘れて過ごしていた。ところが今年、それは突然ボクの目の前に現れた。東日本大震災の被災者を神奈川県が引き受けることになり、葉山町がハヤマ荘に目を付けたというのだ。現在使われていない旅館、民宿、会社の保養所などを町が探している。被災された方は一日3千円でそこに住み、三食が提供される。そしてひとりに付き3千円の補助が支払われることになった。つまり部屋を提供すると被災者一人につき合計6千円支払われることになった。しかも、長期間使用していなかった施設を修理する場合、その費用は全て神奈川県が出すということだ。その話に高橋の家がのった。

ボクは数年前に心臓の病気をしてからは、週の内半分働き、半分はリハビリをする療養生活だったので、再稼働したハヤマ荘の手伝いを頼まれるようになり、ときどきそこに足を運んだ。

夏になり、ボクの一番の関心は果たして今でも極楽鳥が飛来してくるかどうかだった。夏休みがいよいよ始まるという7月20日、ボクは40年ぶりに極楽鳥を見た。子どもの時に見たときはもっと大きな鳥のように思えたが実際にはスズメぐらいの大きさだった。

今はこの旅館の経営を任されている俊之くん(ボクのいとこにあたる)は、NPOで被災者支援の活動もしているとても頼りになる青年なのだ。ある日、「チーちゃん(ボクのこと)、奥の部屋の前に極楽鳥が来ていることを知っているよね」という。それを聞いてボクは、「いゃ待て、それは絶対に他人には話してはダメだよ」と念を押した。大じいちゃんが居なくなった今、代わりに極楽鳥を守ってあげられるのはボクだけのような気がしたのだった。

ある日、美絵さんに(俊之くんの奥さん)が夕食の時に「落ちたヒナを巣に戻した」と言ったのを聞いてボクは、「何をしたんだ。俊之くん、美絵さんに話していなかったのかい!極楽鳥はアフリカまで飛んで帰れないヒナだけを選別して巣の外に捨てているんだよ!そりゃ誰だって全部のヒナを育ててあげたいさ。でもあの子たちは一日に八十八匹もの生きた虫を食べるんだよ。美絵さん、あなたが代わりに生きた虫を捕まえて上げられるのかい?」とつい声を荒げてしまった。自分の母親を責められて俊之くんのこどもたちは怖がって泣きそうな顔をした。ボクはまるで大じいちゃんの口調そのものだったのだろう。ハッとして黙って席を立った。

やがて、夏も終わり9月になり、最後の被災者の家族がハヤマ荘を出て行った。各地に仮設住宅も建てられ、こんなお化け屋敷のような旅館に一日3千円も払ってとどまるメリットはもはやない。旅館・家族の別荘・そして被災者住宅と時代に応じてさまざまに形を変えたハヤマ荘もその半世紀にわたる使命を終えたのだ。

それでもボクは大じいちゃんとの約束を守りたくて、そして極楽鳥たちを守りたくて、浅草の高橋の家を訪ねた。「あまりお金はないけれど、ハヤマ荘を譲って欲しい」と隆一おじさんに頭を下げた。すると、おじさんは「チーちゃん、もういいでしょ?おやじさんもきっと天国で喜んでいますよ。極楽鳥たちだってまた新しい家を探すことでしょう。葉山町のどこかにね」と言った。ボクが頭を上げたときに見たおじさんの顔は大じいちゃんの笑顔そっくりだった。

オワリ!

国立で木漏れ日の中を歩く2011年10月05日 20時22分53秒

1004国立のカフェ
昨日は変なブログを失礼しました。
実は昨日とってもおもしろい夢をみました。夢というものは普通、話のつじつまが合わなかったり、場面や登場人物がおかしかったりするものです。しかし、昨日の夢は、設定も構成もしっかりしていました。さらに最近の日本大震災の被災者の話なども出てきます。この夢を自分だけで楽しむのはもったいない(笑)と思った私は、朝忘れないうちにと原稿用紙にメモをしました。そして夕方家に戻ってから、できるたげ細部まで思い出しながら2時間ぐらいで書きあげたのが昨日のブログ、「極楽鳥のいた夏」です。それにしても本当に面白い夢でしたよ!

さて、今日は用事があって国立市まで出かけました。年に一度ぐらい訪れる街ですが、駅前からまっすぐに延びた桜の並木道(大学通り)は本当に素敵ですよね。イチョウやサクラの紅葉にはまだ少し早かったのですが、散策するにはもってこいの季節になりました。
駅前から一橋大学を越えてさらに歩くと、両側にしゃれたブティックやレストラン、カフェなどが並びます。あまり下調べをしていなかったのですが、思い切って小さなカフェに入ってランチを食べました。このカフェはときどき小さな個展や発表会などでも使われるようで、ちょっとしたパリのアトリエかスタジオのような雰囲気でした。

その後Tさんという耳の不自由な女性にお会いしました。聴覚に障がいを持つ人の多くが原因がよくわからないことが多いのですが、Tさんの場合は「神経線維腫症2型」という病気が原因とわかっているそうです。この病気は頭の中にたくさんの腫瘍ができ、それを何度も開頭手術をして切除しなくてはなりません。彼女はお母さんも同じ病気で、今は同じ病気を持っている人たちへの情報発信や、社会への啓もう活動に取り組んでいるとのことでした。Tさん、いろいろなお話をありがとうございました。これからもお体を大事になさって活動を続けてくださいね。

さて、四国の遍路旅ですが、おとといは1万3404歩で10km、きのうは1万3849歩で11km、今日は1万3006歩で10km歩きました。次の岩本寺までは21kmとなりました。

「国語の先生なのに手話が出来ないなんて!」2011年10月06日 16時34分11秒

1004江戸川区手話講習会
私は競馬には詳しくないのですが、史上初の無敗3冠馬となった「皇帝」シンボリルドルフが4日に死にました。翌日の全てのスポーツ新聞は一面でそのことを紹介しています。長女は{馬とはいえ、新聞の一面に死亡記事が載るなんてすごいね!」と感心していましたよ。

さて、私はおととい(火曜日)に続いて、今日も江戸川区の手話講習会にお伺いし、手話を学ぶ皆さんに、ろう教育や手話通訳について話をさせていただきました。現在、受講生の皆さんは研究発表に向けて準備をしているということで、講演終了後の質問内容がとても鋭いものでビックリしました。

懇親会では耳の聞こえないお子さんを持つお母さんたちと同じテーブルだったのですが、ろう学校に関するいろいろなお話をお伺いしました。現在、ろう学校や盲学校は特別支援学校と名前を変えています。ろう学校に赴任される先生の中には、(残念ながら)聴覚障がい児・者に対する専門的な知識や経験、または意欲がない先生もいるそうです。「国語の先生なのに手話が出来ないんですよ!一体どうやって子供たちを教えるんですか!」という厳しいご意見も聞きました。

モンスター・ペアレントにはなりたくないけれど、担任が聞こえない子どもにきちんと指導ができないのなら、先生を替えてもらうしかない、校長、または上の機関に相談しなければならない。もしこれが会社なら「嫌な上司が異動するまで1~2年間我慢」することはできても、「子供の1年は大人の10年にも相当する。日々成長する子供に待ったはかけられない」という話もありました。本当にその通りだと思いました。

また別に、ある聴覚障がい者の女性からこんな話も聞きました。「実は13年前にも一度谷さんの講演会を聞きに来ました。でもその時は子供が1才だったので、バタバタしてゆっくり講演を聞けませんでした。今日は13年ぶりに落ち着いてお話を聞くことができました」とのこと。その時の息子さんは成長し、現在中学生になったそうです。なんだかとってもうれしい話ですね。

江戸川区の皆さん、2日間大変お世話になりました。研究発表、頑張ってくださいね!

今日の歩数は1万707歩、8km、次の岩本寺まではあと13kmです。

和歌山県の皆さん、ゴメンナサイ!2011年10月07日 17時20分59秒

1007絵手紙(ヒガンバナ)
(1)指は5本見えていないと
ある出版社からの依頼で、手話を紹介する小冊子の監修をさせていただいています。担当者の方と何度かやりとりをしているうちに気がついたことがあります。私が手話のイラストに何度か訂正を入れたところが指示通りに直っていません。どうして伝わらないのだろうと思っていたら、先日その理由がわかりました。この出版社で作るポスターや本の写真・イラストは必ず指が5本見えていなければならないという規定があるそうです。もし指が欠けていると、おかしな団体からクレームがついたりお金を請求されたりするとのこと。そのために私が「親指は見えないように」とか、「小指は消してください」という指示がほとんど反映されていなかった訳です。理由はわかりましたが、手話の場合そう言われても・・・。

(2)スティーブ・ジョブズ氏死去
アップル社創始者のジョッブズ氏が死去しました。世界中に衝撃が走りましたが、もちろんビッグニュースでしょうが、でもそんなにすごいニュースなんでしょうか?きのうのインターネットを見てみると3人に1人ぐらいの人がこのテーマでブログを書いています。55才のひとりのアメリカ人が亡くなったことは残念なことですが、私はマッキントッシュのコンピュータにさわったこともないし、アイフォンも持っていないので、正直あまり関心がないのですが・・・はい、スミマセン。ジョブズ氏のご冥福をお祈りします。

(3)満開のヒガンバナ
さて今日私は、千葉県松戸市の手話勉強会におじゃましました。会場のふれあい22(福祉会館)で私がいつも楽しみにしていることがあります。それは展示されている障がい者の皆さんの絵手紙作品を見ることです。今月は栗とかマツタケなど秋らしいテーマの作品が多かったのですが、一番多かったのはヒガンバナでした。3階のロビーは真っ赤な花の絵で満開になりとってもきれいでしたよ。皆さん、いつもきれいな絵手紙、ありがとうございます。

(4)ノートの文字が躍っている
ところで勉強会に参加したBさんからこんな話を聞きました。私が先日の戴帽式の話をしたところ、耳の聞こえないBさんは以前娘さんの戴帽式に出席したことがあるそうです。「その時は手話通訳者ではなく、要約筆記者を依頼した。ところが会場があそこまで真っ暗になるとは予想していなかった。となりで書いてくれている文字が全く見えない。式が終了し、ノートを見たら、真っ暗な中で筆記者が書いてくれた文字が紙の上で乱れて踊っていた。それを見てまた感動してしまった」とのこと。私が「いい話ですね。そのノート今度是非見せてください」と言うと、2年前なのでもうノートは捨てたとのこと、それは残念でした!

(5)和歌山県だけ??
先日、DVDの手話教材を作成するために、スタジオで録音をしました。ところがその後編集者のMさんから「全ての音声が記録されているのに、なぜか和歌山県ということばだけが撮れていなかった」という連絡がありました。えーっ!?和歌山県だけですか!当日スタジオにいたのは3人だけ。Mさんが原稿に書き漏らしたか?それとも私が和歌山県だけを飛ばして読んだか?または音声担当のYさんが録音し忘れたか?まぁ、今となってはその原因はわかりません。いずれにしても今度スタジオに行き、マイクの前で「和歌山県!」と一言叫びに行ってきますね(笑)!