お別れをしてきました2017年01月26日 21時12分59秒

幼い頃から神さまに仕えたいと思っていた。
17才の時にイエズス会に入った。
当時好きな女の子がいた。しかし、イエズス会の神父になれば結婚はできない。とても迷ったが、一人の女性と歩む人生は諦めて、神さまと歩む人生を選んだ。
マドリッドの修道院での生活は厳しかった。気候はだいたい東京と同じくらいだが冬でもお湯は出ず全て冷たい水で生活しなければならなかった。さらに夏は暑かった。私たちは食事の時以外に水を飲むことは禁止されていた。それでも楽しいこともあった。
ある日、日本でキリスト教を広める人が少ないので誰か行ってもらえないか?という呼びかけがあり、私を含めて3人の若者が手を挙げた。調べてみたら、日本人のほとんどの人は宗教を信仰していないと聞いてビックリした。きっと人を殺しても平気、他人の物を盗んでも平気な恐ろしい人たちが暮らしている国なのだろうと心配した。

それからカスタニエダ先生はしばらくボストンで研修を受け、アメリカ大陸を横断してサンフランシスコを船で出港しました。太平洋を横断して、日本の横浜港に到着しました。実際日本に到着して暮らしてみると「日本人は信仰がないのに平和で親切で礼儀正しい人たちばかりなのにビックリした」そうです。
32才の時に念願の司祭になりました。その時は祖国スペインからご家族も来日され家族みんなでお祝いをしたそうです。
その後は上智大学、上智社会福祉専門学校、そして上智短期大学で教鞭をとられました。
ひとつ忘れられないエピソードがあります。ある日、カスタニエダ先生が鼻に大きな絆創膏を貼ってきました。私が「どうしたのですか?」と訊くと、「プールに行ってメガネを外して飛び込んだら、ちょうど清掃日で水が抜かれていた。水のないプールに飛び込んで鼻を怪我したのですよ!ハハハ!」と笑っていました。(今日、クラスメートに訊いたら誰もこの話を覚えていないので、もしかしたらこれは私と先生の個人的な話だったのかもしれません。先生ごめんなさい)そんなイエズス会の神父らしくないおちゃめな先生でした。

先生は大学を退職後、神奈川県の教会へ移られましたが、2012年に体調が悪くなり東京の施設で療養生活を送られていました。仕事と研究と健康を失った先生は、お見舞いに来る友人にいつも「待っているよ」と伝えていたそうです。もちろん、待っていたのは見舞いの友ではなく神さまのお迎えをです。
そして先生は、去る1月22日の夜に(望まれていた)神さまのもとに旅立たれました。85才でした。

本当は今日私は、お通夜式に行きたくない気持ちでいっぱいでした。お別れはあまりに悲しすぎて。でもきちんとお別れをしなくてはいけない、先生にお礼を言わなくてはいけないと思い覚悟を決めて家を出ました。
棺の中の先生は、少しお痩せになっていましたが、幸せそうな穏やかなお顔をされていたので少し安心しました。
カスタニエダ先生に教わったことは山ほどあります。幸いなことに私は今若い学生たちの前で話をする機会をいただいています。先生の教えを少しでも後世に伝えていくのが私にできる恩返しですね。

神さま、カスタニエダ先生を日本にお導きくださり、私たちの学校にお招きくださりありがとうございました。
先生今まで大変お世話になりました。本当にありがとうございました。また、天国でお目にかかれる日まで、私は先生のように頑張って生きていきます。

0126カスタニエダ先生