奇跡の根2022年04月05日 20時59分27秒

岩手県陸前高田市にあった松林。
2011年の東日本大震災の津波で壊滅的な打撃を受けました。

20220405一本松展

7万本の中で、たった一本だけのこった「奇跡の一本松」。この木は中をくりぬき防腐処理などを施し、現在は元あった場所に再現されています。しかし、木そのものは既に枯れていたために、土台はコンクリートで固めています。
ではその根はどこへ行ったのでしょう?

20220405根

根の部分は、現在東京で保存、展示されています。四ツ谷の上智大学と、ホテルニューオオタニとのちょうど間あたりにある紀尾井清堂という施設です。
今日訪れて実物を見てきました。高さ2メートル、幅10メートルの大きな根。「この根があったから、あの松は流されなかったんだ」と納得できます。

20220405四ッ谷の桜

帰りに四ツ谷の土手伝いに歩きました。ここは私にとっても青春の思い出の場所です。桜も満開・見ごろは過ぎたとはいえ、まだまだきれいに咲いていましたよ。

あれから10年・・・2021年03月11日 20時18分57秒

今日は3月11日。
2011年に起きた東日本大地震から10年が経ちました。

20210311あれから10年

私が初めて被災地を訪れたのは、震災から2か月後の事でした。

20210311気仙沼

気仙沼では、まだ町中に大きな船がたくさん打ち上げられていました。

20210311わんこそば

十北にはしばらく行っていませんが、コロナが収束したらまた訪れたいと思っています。

全問正解、おめでとう\(^^)/2017年11月12日 20時28分33秒

今日は、千葉県浦安市の手話勉強会にお伺いしました。
事前に担当のIさんから「浦安の町は震災の後片づけも終わりました」とメールをいただきました。今日新浦安駅から福祉センターまで歩く道路がすっかりきれいになっていることに気が付きました。以前はこの道も液状化でうねったようになっていて、ところどころ点字ブロックが飛び出していたたために、全て外して道路の脇に積んでありましたね~。

20171112道

さて、今日は「手話面白ゼミナール」という内容で、手話に関するさまざまなクイズを出し、それに皆さんに答えていただくという形の学習会でした。
主催者の方に「昔、NHKでクイズ面白ゼミナールという番組がありましたよね。あのように参加型の楽しい内容でお願いします」と言われました。
調べてみたら面白ゼミナールは1981年~88年に放映された番組です。約30年前とは私が生まれる前ですから全然知りませ~ん!←ウソ(笑)

20171112面白ゼミナール

しかし、今は便利な世の中になりましたね。YouTube(動画サイト)で調べたら、当時のテレビ番組を見ることができました。


20171112浦安市

手話や耳の聞こえない人に関する問題を10個作りました。
・色のグレーを表す手話は、鉄、ネズミ、砂のうちどれ?(正解はネズミ)
・音の大きさを測る単位デシベルのベルは都市の名前から付けられた、ホント?ウソ?(正解はウソ。グラハム・ベルという人の名前から)など。
40人程の参加者がありましたが、なんと全問正解が一人いました!素晴らしいですね。記念に私の新刊をプレゼントさせていただきました。

今日は地元浦安市だけでなく、市川市や、鎌ヶ谷市、東京都からも聴覚障がい者、難聴者、手話学習者の方が参加してくださいました。
皆さん、本当にありがとうございました。

100年は人が住めないだろうと2016年08月06日 08時15分00秒

先日、広島を旅してきました。平和祈念式典の直前ということで、記念公園には既にたくさんのイスが並べてありました。

0806広島平和祈念式典

一緒に行った義理の父が、「原爆が投下された時には、広島には今後100年は人が誰も住めないだろうと思った。ところが10年から20年で町は元の姿を取り戻し始め、70年経ったらこんなにきれいな町になったのには驚いた」と話してくれたことばが、印象に残りました。

「100年、人が住めない」で思い出すのは現代の福島市です。今は、人が住めない町になってしまいましたが、これから30年、50年と経つうちにいつか元のような姿を取り戻すことができるのでしょうか?
この広島の町のように・・・。

来てくれるだけでもありがたいのだけれど・・・2016年02月17日 20時24分19秒

今日は国会の議員会館で行われた震災関係の会議の手話通訳を担当しました。
気温は低いものの澄み渡るような青空。
お天気で良かった。全国から車イスの人が集まります。もし雨だったら大変でしたから。

0217国会

障がい者救援本部の名称には「東北関東大震災」の文字が。これは政府があの地震を「東日本大震災」と名付ける前に本部が立てられたこと示しています。

0217会場

会議には多くの議員が参加します。ただ、どの人も、報告会に数分参加するだけで「私は○○党の○○です。本日はいろいろと学ばせていただきました。今後の国政に生かしていきたいと思います」とあいさつが終わると退席してしまいます。忙しい中、この報告会に来てもらえるだけでもありがたいのですが、「私も参加しましたよ」ということを示すだけの行動ではないのかな?と少し疑問に感じました。

0217スクリーン

いろいろと書きたい話しはあるのですが、一番印象に残ったのは、学校の話しです。

1月に地域内の小学校を、障がい者団体が視察した。どこもバリアフルでスロープもエレベーターも車イストイレもない。「障がい児が入学したらどうするのか?」と訊くと、「するかもしれないことを想定して高い費用を掛けることは出来ない」との返事だった。それから2ヶ月後に震災が起き、学校は避難所になった。スロープもエレベーターもなく、入居した高齢者・障がい者たちは生活に不便を感じた。学校は、「災害時には避難所になる」ことを想定の元にバリアフリー化しなければならないのでは?

この話しはとても説得力がありました。
震災からまもなく5年が経とうとしています。いろいろなことを振り返る節目の年にしなければなりません。

冷たい風に半旗がはためく一日2015年03月11日 17時15分03秒

学校
0311幼稚園

公園
0311六義園

警察署
0311警察署

今日は町中に半旗・弔旗が掲揚され、冷たい風にはためいていました。

ここも被災地2013年12月03日 21時17分47秒

今日は千葉県浦安市のコミュニケーション支援教室で「手話との出会い」というお話しをさせていただきました。聴覚障がい者や難聴者の皆さんが20名ほどお集まりくださいました。
1203浦安市コミュニケーション教室
講演会終了後は近くのレストランでコーヒーを飲みながらおしゃべりをしました。
東日本大地震で被災したのは東北だけではありません。ここ浦安もとても大変だったところです。皆さんの話を聞くと、高速道路を境にして海側は全部ダメ、山側は全く問題なしだったそうです。埋め立て地である海側に済んでいる人たちは1ヶ月以上も電気がない、水が出ない生活で大変だった。とにかくトイレが一番困ったという話しを聞きました。
1203浦安市の皆さんと
日本橋から4時間かけて帰ってきた、上野から6時間以上歩いて帰ってきたなど、地震当日は帰宅も困難だったというお話を聞いていたところに、偶然地震がありました。面白かったのは、聞こえない人たちは気がついたのに、聞こえる人たちは気がつかなかったということです。それだけ聴覚障がい者の方が振動に敏感なのでしょうね。
浦安市の皆さん、今日はお世話になりありがとうございました。