見えないけれどそこにある・・手話合宿パート3 ― 2009年02月24日 11時36分04秒
きのう熱海から戻りました。
途中で立ち寄ったMOA美術館について。
(1)見えないけれどそこにあるもの
美術館にある3つの国宝のひとつ、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を見ました。唐突ですが、皆さんは左に描かれた白梅と右に描かれた紅梅のどちらの印象が強いですか?私は右側の紅梅です。やはり白より赤の方が華やかだし、女性的なしなやかさがあります。では左側の白梅は?どんな形をしていたかな?何だかよく覚えていません。
今回改めて屏風を見て、その訳がハッキリわかりました。実は白梅は、幹の下の部分が少し、そして上から垂れている一本の枝が描かれているだけで、木そのものはほとんど描かれていません。しかし、その太い幹と立派な枝から、その白梅の美しい形や力強さが想像できます。自分は今まで描かれていた部分しか見ていなかったんだということを知り、自分の未熟さを改めて感じました。
これは自分なりの解釈なのですが、例えば紅梅はいつも子供たちと接している母親の姿、白梅は子供と接する時間は少ないけれど毎日外で頑張って仕事をしたり、無口だけれど、いつも子供を遠くから見守っている父親の姿のようにも見えます。一枚の屏風を見ながら、20分ぐらいあれこれといろいろなことを考えていました。
(2)寒山と拾得
私はいつも絵を見るとき、題や説明を読まずにまず絵を見ます。その後で解説を読みます。人は題を見てしまうと、絵がそう見えてしまうものですね。たまたま最近、森鴎外の寒山拾得(かんざんじっとく)という小説を読みました。その物語に登場するふたりの主人公を描いた絵に偶然出会えたのです。寒山の絵を見たときは、カッパのような髪型で、西遊記の沙悟浄を描いたのかと思いました。実はそれが寒山でした。さらに、次の掛け軸には、丸顔で豚のような鼻、こちらは猪八戒かと思ったら、実は拾得でした。ふたつは別々の掛け軸なのですが、まるで右の寒山が「おい」と呼びかけたときに、左の拾得が「なんだい?」と答えているようにも見えました。何だか急にこの絵を写し留めておきたくなり、リュックの中にたまたまあったスケッチブックを取り出して、絵の前でデッサンを始めました。
デッサンを始めてすぐに、気が付いたことがあります。多くの人たちはこの古ぼけた水墨画の前を素通りしていきます。(小説を読む前は私もそうでしたが、寒山も拾得も知らないのでしょう)しかし、多くのご年配の人たちは必ず「おっ、これが寒山?」、「こっちが拾得か?」と足を止めて絵を見ています。それは自分の中にあるふたりのイメージと、この絵のイメージとの差異にどう折り合いを付けたらよいのかという迷いを消化できずにいるような感じを受けました。
(3)千秋万歳
昔の中国の屋根瓦に描かれた漢字、その中に「千秋万歳」の文字を発見しました。実は今年の2月3日、節分の豆まきに浅草寺に行きました。(その日のブログにも書いたのですが)寺院にはもともと鬼は居ないことから、豆まきの時のかけ声は「鬼は外」の代わりに「千秋万歳、福は内」と言います。そのことばに思いがけない場所でまた出会えたので、何だか嬉しくなりました。
ゆっくりゆっくり時間をかけて、美術散歩をし、いろいろなことを考えた一日になりました。
途中で立ち寄ったMOA美術館について。
(1)見えないけれどそこにあるもの
美術館にある3つの国宝のひとつ、尾形光琳の「紅白梅図屏風」を見ました。唐突ですが、皆さんは左に描かれた白梅と右に描かれた紅梅のどちらの印象が強いですか?私は右側の紅梅です。やはり白より赤の方が華やかだし、女性的なしなやかさがあります。では左側の白梅は?どんな形をしていたかな?何だかよく覚えていません。
今回改めて屏風を見て、その訳がハッキリわかりました。実は白梅は、幹の下の部分が少し、そして上から垂れている一本の枝が描かれているだけで、木そのものはほとんど描かれていません。しかし、その太い幹と立派な枝から、その白梅の美しい形や力強さが想像できます。自分は今まで描かれていた部分しか見ていなかったんだということを知り、自分の未熟さを改めて感じました。
これは自分なりの解釈なのですが、例えば紅梅はいつも子供たちと接している母親の姿、白梅は子供と接する時間は少ないけれど毎日外で頑張って仕事をしたり、無口だけれど、いつも子供を遠くから見守っている父親の姿のようにも見えます。一枚の屏風を見ながら、20分ぐらいあれこれといろいろなことを考えていました。
(2)寒山と拾得
私はいつも絵を見るとき、題や説明を読まずにまず絵を見ます。その後で解説を読みます。人は題を見てしまうと、絵がそう見えてしまうものですね。たまたま最近、森鴎外の寒山拾得(かんざんじっとく)という小説を読みました。その物語に登場するふたりの主人公を描いた絵に偶然出会えたのです。寒山の絵を見たときは、カッパのような髪型で、西遊記の沙悟浄を描いたのかと思いました。実はそれが寒山でした。さらに、次の掛け軸には、丸顔で豚のような鼻、こちらは猪八戒かと思ったら、実は拾得でした。ふたつは別々の掛け軸なのですが、まるで右の寒山が「おい」と呼びかけたときに、左の拾得が「なんだい?」と答えているようにも見えました。何だか急にこの絵を写し留めておきたくなり、リュックの中にたまたまあったスケッチブックを取り出して、絵の前でデッサンを始めました。
デッサンを始めてすぐに、気が付いたことがあります。多くの人たちはこの古ぼけた水墨画の前を素通りしていきます。(小説を読む前は私もそうでしたが、寒山も拾得も知らないのでしょう)しかし、多くのご年配の人たちは必ず「おっ、これが寒山?」、「こっちが拾得か?」と足を止めて絵を見ています。それは自分の中にあるふたりのイメージと、この絵のイメージとの差異にどう折り合いを付けたらよいのかという迷いを消化できずにいるような感じを受けました。
(3)千秋万歳
昔の中国の屋根瓦に描かれた漢字、その中に「千秋万歳」の文字を発見しました。実は今年の2月3日、節分の豆まきに浅草寺に行きました。(その日のブログにも書いたのですが)寺院にはもともと鬼は居ないことから、豆まきの時のかけ声は「鬼は外」の代わりに「千秋万歳、福は内」と言います。そのことばに思いがけない場所でまた出会えたので、何だか嬉しくなりました。
ゆっくりゆっくり時間をかけて、美術散歩をし、いろいろなことを考えた一日になりました。
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