使い方間違っていない? ― 2011年05月15日 06時16分14秒

名前って変えられるの?
先日、大学の教員懇親会がありました。できるだけ知らない先生と話をしようと思って出かけたのですが、最初に話したのは、点字の先生、発達障害の先生、介護科の先生と結局は知っている先生とだけ話をして帰ってきました。ところが帰りに駅までご一緒したレクリエーションの先生が、別の先生を紹介してくれました。その先生は私と同じ名字が「釈」です!レクの先生が「もしかしたらお二人は遠い親せき?」と言います。ところが釈先生は「実は私の苗字、父の代までは大福釈という名前だったのを釈だけにしたのです。でも大福なんて縁起が良い方を取るなんて」と言っていました。えっ?名字って変えられるのですか。ちょっとビックリです。
使い方間違っていない?
先日友人から来たメール。「では今度の金曜日、7時に駒込の和民なう」・・・ん?なうというのは今と言う意味だから、例えば「スカイツリーなう」と言えば今スカイツリーにいます、「東京駅なう」は東京駅にいますという意味ですよね。ちょっとおじさんが背伸びして若者ことばを使おうとしていないかなぁ。Kちゃん気をつけてね!
さて、今日はこれから長女のバレーボールの応援に、そして午後は裁判員通訳の研修会に行ってきます。忙しい一日になりそうです。
さて、今日はこれから長女のバレーボールの応援に、そして午後は裁判員通訳の研修会に行ってきます。忙しい一日になりそうです。
オレたち手書き族! ― 2011年05月16日 19時48分58秒
予選突破!
昨日は娘のバレーボール大会でした。3試合のうち2勝すれば関東大会に出場できるのですが、実力は拮抗していてどのチームにもチャンスがありました。第1試合を落としてもう後がない状態から2連勝!これで関東大会に出場することが決定しました。おめでとう。それにしても対戦相手は応援席も含めてチームカラーのオレンジ一色。どうも私はあの色は苦手で、あの色にだけは絶対に負けたくないという闘争心が体の内部から湧き出してくるのです(笑)。
高校の女子バスケットボールは、関東大会が震災の影響で開催できませんでした。「こうやって試合が出来ることに感謝してください」という開会式でのあいさつが印象に残っています。
昨日は娘のバレーボール大会でした。3試合のうち2勝すれば関東大会に出場できるのですが、実力は拮抗していてどのチームにもチャンスがありました。第1試合を落としてもう後がない状態から2連勝!これで関東大会に出場することが決定しました。おめでとう。それにしても対戦相手は応援席も含めてチームカラーのオレンジ一色。どうも私はあの色は苦手で、あの色にだけは絶対に負けたくないという闘争心が体の内部から湧き出してくるのです(笑)。
高校の女子バスケットボールは、関東大会が震災の影響で開催できませんでした。「こうやって試合が出来ることに感謝してください」という開会式でのあいさつが印象に残っています。

場数を踏む
裁判員裁判の研修会でのこと。裁判では残虐な殺害方法や、その後遺体に傷を付けるなどの内容をどう通訳するかという前に、その話や映像に耐えられるかどうかが大切という話題になりました。メンバーの中に看護師さんがいて「私たちも最初の解剖実習の時は、途中で教室を出てしまったり、気分が悪くなる看護学生がいる。一週間ぐらい焼き肉も食べられなくなる。きっとそれは裁判官も同じだろう。これを乗り越えるには場数を踏むことしかないでしょう」と発言をしました。なるほど、確かに裁判を担当する手話通訳は法廷を傍聴したり、調書を読むなどしてそういうことに慣れておくことが大切でなんでしょうね。
オレたち手書き族
私はときどき忘れてはいけないこと、大事なことを油性ペンで手の甲(親指の付け根あたり)に書くことがあります。街中や電車の中でたまに私と同じで手にメモを書いている「手書き族」に出会うことがあるのですが、何だか親近感を感じてうれしくなります。先日バスに乗ったら、たまたま私の右隣に座った女性の左手にも何やら文字が・・・。私は左利きなので当然メモを書くのは右手。彼女との左手と私の右手が横に並びました。
***ふと見ると、彼女の手には「渡2W」?!なんと、私の手にも「渡2W」と全く同じメモが・・・。えっ!一体どうして?こんな偶然ってあるでしょうか!お互いに目と目があってニッコリ。どちらからともなく次のバス停で降り、コーヒーショップで意気投合して、新しい恋が始まり***
これが先日読んだ「阪急電車」だったら、きっとこういう展開になるのでしょうねぇ。
実際には私が彼女の手に書かれた文字を読もうと覗きこむと、「ちょっと、なに見てんの!」と言わんばかりにキッとにらまれて、私は慌てて視線を窓の外に・・・。
皆さんもときどき手にメモを書いたりすることありませんか?(ただときどき自分で書いたメモなのに、その意味が何だったかわからなくなることもあるのですけどね・・・凹)
白ヘビが娘の体に巻きついた! ― 2011年05月17日 08時00分24秒
大蛇
中学校の吹奏楽部に入部した次女。チューバは大きな楽器なので普段はマウスピースだけを家に持ち帰り練習しています。
小学校ではトランペットの経験が少しあるものの、6月の運動会でいきなりデビューするそうです。運動会では普段のチューバではなく、スーザーフォンを吹くとのこと。スーザーフォンって?「白いヘビみたいな楽器で自分の体の周りをグルグルに巻き付けて吹くやつだよ」と教えてくれました。そういえば甲子園とか六大学の応援で見たことがあります。あんな大きな楽器を吹くなんてすごいですね。今から運動会が楽しみです。
中学校の吹奏楽部に入部した次女。チューバは大きな楽器なので普段はマウスピースだけを家に持ち帰り練習しています。
小学校ではトランペットの経験が少しあるものの、6月の運動会でいきなりデビューするそうです。運動会では普段のチューバではなく、スーザーフォンを吹くとのこと。スーザーフォンって?「白いヘビみたいな楽器で自分の体の周りをグルグルに巻き付けて吹くやつだよ」と教えてくれました。そういえば甲子園とか六大学の応援で見たことがあります。あんな大きな楽器を吹くなんてすごいですね。今から運動会が楽しみです。

亀
私の知人から聞いた話。その人の家ではもう14年も亀を飼っているとのこと。1年間に3回ほど卵を産み、1回に産卵する卵は20個程度だそうです。えっ年間に60個ですか!もしそれが全部かえったら大変ですよね。ところが飼っているのはメスなので卵は全て(ニワトリと同じように)無精卵だそうです。それにしても年間に60個の卵を産む亀ってすごい生命力ですね。
ビーバー
カナダの人気歌手、ジャスティン・ビーバーが来日しました。今回の震災の影響で日本に行くことをかなり反対されていたようですが、ツイッターで公表していた通り、周囲の反対を押し切っての来日となりました。
最近MTVを見るといつも出てくる若者(17才)ですが、左利きの彼が弾いているギターはハミングバード。おじさん、おばさん世代にはあの派手なピックガードは懐かしいでしょうね。そう、アリスが弾いていたギターです。もっとも本物(ギブソン)は買えないので当時の高校生はみんなモーリスでしたけれどね。今夜はZepp大阪、木曜日は日本武道館でツアーを行います。行く人はぜひ彼のギターにも注目してくださいね。
ところで来日した外タレは必ず京都や浅草、六本木を訪れます。(まぁ今回は被災地という可能性もありますが・・・)金曜日辺り浅草で張っていると、帽子にサングラス、3~4人のスタッフに囲まれたお忍びのジャスティンを目撃できるかも知れませんよ!
私の知人から聞いた話。その人の家ではもう14年も亀を飼っているとのこと。1年間に3回ほど卵を産み、1回に産卵する卵は20個程度だそうです。えっ年間に60個ですか!もしそれが全部かえったら大変ですよね。ところが飼っているのはメスなので卵は全て(ニワトリと同じように)無精卵だそうです。それにしても年間に60個の卵を産む亀ってすごい生命力ですね。
ビーバー
カナダの人気歌手、ジャスティン・ビーバーが来日しました。今回の震災の影響で日本に行くことをかなり反対されていたようですが、ツイッターで公表していた通り、周囲の反対を押し切っての来日となりました。
最近MTVを見るといつも出てくる若者(17才)ですが、左利きの彼が弾いているギターはハミングバード。おじさん、おばさん世代にはあの派手なピックガードは懐かしいでしょうね。そう、アリスが弾いていたギターです。もっとも本物(ギブソン)は買えないので当時の高校生はみんなモーリスでしたけれどね。今夜はZepp大阪、木曜日は日本武道館でツアーを行います。行く人はぜひ彼のギターにも注目してくださいね。
ところで来日した外タレは必ず京都や浅草、六本木を訪れます。(まぁ今回は被災地という可能性もありますが・・・)金曜日辺り浅草で張っていると、帽子にサングラス、3~4人のスタッフに囲まれたお忍びのジャスティンを目撃できるかも知れませんよ!
One please.(ワン・プリーズ) ― 2011年05月18日 07時48分15秒
桜田門外の変
たまたまある人のブログを読んでいたら、「社会進歩につくした茨城の先人たち」という本の中に、「井伊直弼の致命傷は、大腿から腰にかけての貫通銃創だった」という記述があったと書いてありました。えっ?ええっ!映画でもドラマでも井伊大老は刀で切られていませんか?ピストル(当時は短銃鉄砲)とは驚きですね。
そういえば茨城県のどこかに「桜田門外」を再現した場所があるのですよね。今度一度行ってみたいと思っています。
昨日の夕食(結構気合いを入れました)
たまたまある人のブログを読んでいたら、「社会進歩につくした茨城の先人たち」という本の中に、「井伊直弼の致命傷は、大腿から腰にかけての貫通銃創だった」という記述があったと書いてありました。えっ?ええっ!映画でもドラマでも井伊大老は刀で切られていませんか?ピストル(当時は短銃鉄砲)とは驚きですね。
そういえば茨城県のどこかに「桜田門外」を再現した場所があるのですよね。今度一度行ってみたいと思っています。
昨日の夕食(結構気合いを入れました)

・大根とたけのこのピリ辛どて焼き(左)
コチジャンが良い辛みを出してくれました。
・かつおの炙り(右)
ただ、切って並べただけですが。
・豆腐とゴボウのサラダ
横浜のおばさんからいただいたサンチュを和えて。
・カボチャと長ネギの味噌汁
もう少しネギは煮た方が良かったのかな?
児玉清さん
俳優で司会の児玉清さんが亡くなりました。
児玉さんは12月26日生まれだったのに、昔は数え年(生まれると1才、元日に1才加えていく)だったので、一週間で2才になることに違和感を覚えた母親が1月1日生まれで届け出を出したのだそうです。
児玉さんといえばその読書量の多さでも有名な方でした。私にはクイズ番組よりもNHK週間ブックレビューの印象の方が強いのです。著書「寝ても覚めても本の虫」の中では、僕は物心がついたころから今日まで毎日続けているたったひとつのことが読書なのですと書いていらっしゃいました。そういえば、今読んでいる「八日目の蝉」の前の本、「阪急電車」の後書きも児玉さんでした。「冒頭の一説を読んだだけで、もう舌なめずりするような喜び」と著者に敬意を払いながら、本のポイントを独特の視点から解説をされています。
舞台あいさつの最後を「ワン・プリーズ、ひとつよろしく」と締めくくられたユーモアのセンスあふれる児玉さん。天国でも大好きな本をたっぷりと読んでください。そして良い本に出会ったらまた私たちに教えてくださいね。ご冥福を心からお祈りいたします。
昨夜は2度の攻撃を受けて ― 2011年05月19日 13時49分58秒
今日の東京上空は青空で、朝から爽やかな風が吹いています。
しかし、私は朝からあくびが止まりません。昨日の夜は1時台と3時台の2度敵の攻撃を受けました。最初は私の左舷後方(左足)、続いて右舷前方(右手)を爆撃されました。しばらくは我慢していたのですが、かゆくてたまらず、まずは被害を受けた場所を薬で修復し、その後、蚊取り線香で反撃しました。私の隣の艦も被害を受けたようで起きてきました。
そして上空に敵機が見えなくなったため再び寝ると今度は耳元でブーンと嫌な音を立ててきました。結局、深夜の1時から3時半頃までずっと起きて反撃していました。ふーっ、なので今日は寝不足です。
昨日のブログに桜田門外で殺害された井伊直弼の致命傷は銃で撃たれたものだったらしいという話を書きました。何でも知りたがりの私は、さっそくTSUTAYAへ行き「桜田門外の変」のDVDを借りてきました。とりあえず殺害のシーンだけを先に観てみましたが、確かに井伊大老は短銃で撃たれています。もちろん、映画はフィクションですが、事実に基づいて忠実に作っているのですね。ビックリしました。後でゆっくり全編を観てみたいと思います。
しかし、私は朝からあくびが止まりません。昨日の夜は1時台と3時台の2度敵の攻撃を受けました。最初は私の左舷後方(左足)、続いて右舷前方(右手)を爆撃されました。しばらくは我慢していたのですが、かゆくてたまらず、まずは被害を受けた場所を薬で修復し、その後、蚊取り線香で反撃しました。私の隣の艦も被害を受けたようで起きてきました。
そして上空に敵機が見えなくなったため再び寝ると今度は耳元でブーンと嫌な音を立ててきました。結局、深夜の1時から3時半頃までずっと起きて反撃していました。ふーっ、なので今日は寝不足です。
昨日のブログに桜田門外で殺害された井伊直弼の致命傷は銃で撃たれたものだったらしいという話を書きました。何でも知りたがりの私は、さっそくTSUTAYAへ行き「桜田門外の変」のDVDを借りてきました。とりあえず殺害のシーンだけを先に観てみましたが、確かに井伊大老は短銃で撃たれています。もちろん、映画はフィクションですが、事実に基づいて忠実に作っているのですね。ビックリしました。後でゆっくり全編を観てみたいと思います。

ところで数週間前に受けた取材が記事になって今日の朝日新聞の電子版で紹介されています。病院の受付でボランティア活動をされている女性に、簡単な手話指導をしたり、手話についての話をしたことが載っています。今パソコンでこのブログをご覧になっている方、もしお時間があったらちょっと覗いていただければうれしく思います。
大人の教科書(このタイトルはちょっとドキッとしますが・・・えっ!私だけ?)
http://doraku.asahi.com/kiwameru/kyoukasho/110519_02.html
モンゴルをブラジルとグルジアが追う ― 2011年05月20日 21時03分50秒
昨日は大相撲五月技量審査場所に行ってきました。入門したての力士の取り組みは朝8時頃から始まります。大好きな方は朝から見ているのでしょうが、私は幕内の土俵入・横綱土俵入のちょっと前、3時半頃を目指して国技館に向かいました。ところが、今場所は17人の関取が辞め、懸賞金もない場所です。どんどん取り組みが進み、もしかしたら私が到着する時間には全て終わってしまっているのではないか?だとするとせっかくチケットが当たったのに無駄足になってしまう!と急に不安になり、途中から少し早足で国技館に向かいました。ただ、実際には普段の場所と同じ時間の進行で、土俵入りには無事、間に合いました。ホッ!

国技館へ向かう道には、いつもの力士ののぼり旗はありませんし、場内も2階席はガラガラ。本当に寂しい思いがしました。
無敗の白鵬を追いかけるのは1敗の魁聖と栃ノ心です。考えてみたら白鵬はモンゴル、魁聖はブラジル、そして栃ノ心はグルジア出身・・・優勝争いに日本人がいないのは(今に始まったことではないとはいえ)寂しいものですねぇ。
その魁聖の対戦相手は豪栄道。豪栄道が低く当たって右から下手ひねり、わずか5秒で決着が付いてしまいました。これで魁聖は2敗です。
次の取り組みが栃ノ心対鶴竜(モンゴル出身)。鶴竜の立ち会いでの変化に栃ノ心は一気に土俵際に追い込まれ、あっけなく押し出されてしまいました。栃ノ心も2敗になりました。
その他の取り組みでは日馬富士が立ち会いの変化で琴奨菊を0.7秒で突き落とし。大関らしくないと批判されるかもしれませんが、今の日馬富士は勝ち方にこだわっている余裕はないでしょうね。
そして結びは白鵬対阿覧(ロシア出身)です。立ち会いからなかなか上手が取れずもたもたしているところを、逆に阿覧に左上手を取られてしまいます。途中体勢がやや不利に見えましたが、そこで慌てないのが白鵬ですね。じりじりと立て直し、最後は豪快な上手投げで相手を土俵中央に投げ捨てました。
※今日(13日目)に白鵬は日馬富士に敗れました。ただ、これから魁聖と栃ノ心は上位と当たるので星の差はひとつとはいえ、白鵬が有利なことには間違いないでしょう。
最後に立行司についてもひとこと。式守伊之助さんは38代目、木村庄之助さんは35代目なんですね。伝統のある歌舞伎役者でも、市川団十郎さんが12代目、松本幸四郎さんが9代目、市村羽左衛門さんが17代目です。相撲はそんなに長い歴史があるのだなと改めて思いました。その庄之助さんは秋場所後に65才の定年を迎えます。今の庄之助さんを生で見るのはこれが最後になることでしょう。感謝をこめてその姿を目に焼き付けてきました。
被災地へ行ってきます ― 2011年05月21日 06時45分42秒
私のこの小さなホームページには、昨日までに10万人の方にご来場いただきました。皆さん、ありがとうございます。これからも地味に日々のことを書き綴っていきたいと思います。お暇なときに覗いていただければうれしいです。どうぞよろしくお願いします。
04年04月14日 開設
05年10月04日 1万人
06年09月23日 2万人
07年05月07日 3万人
07年12月01日 4万人
08年06月29日 5万人
09年01月03日 6万人
09年07月27日 7万人
10年02月16日 8万人
10年09月23日 9万人
11年05月20日 10万人
週末に被災地へ行くことになりました。友人からがれきの撤去作業のボランティア?と聞かれました。いえいえ、10年前でしたらお役に立てたことでしょうが、心臓病で療養中の私では作業の足手まといにこそなれ、残念ながら力仕事の戦力にはならないでしょうね。
実は数日前に、知り合いのテレビディレクターから電話がありました。「震災から2ヶ月半が過ぎ、障害者の就労について取材することになった。当初は地元の手話通訳者を手配していたのだが、突然のキャンセルになってしまった。手話通訳をお願いできないでしょうか?」という内容でした。現地では手話通訳者も被災しています。直前でのキャンセルはやむを得ないことでしょう。
私は震災後から、何か自分が役に立てることはないかとずっと考えていましたし、行き先が昨年訪れた気仙沼だったことからお引き受けすることにしました。
この間入っていた予定を延期していただいた皆さんには大変申し訳ないのですが、上記のような事情なのでどうか私の勝手なわがままをご理解ください。
04年04月14日 開設
05年10月04日 1万人
06年09月23日 2万人
07年05月07日 3万人
07年12月01日 4万人
08年06月29日 5万人
09年01月03日 6万人
09年07月27日 7万人
10年02月16日 8万人
10年09月23日 9万人
11年05月20日 10万人
週末に被災地へ行くことになりました。友人からがれきの撤去作業のボランティア?と聞かれました。いえいえ、10年前でしたらお役に立てたことでしょうが、心臓病で療養中の私では作業の足手まといにこそなれ、残念ながら力仕事の戦力にはならないでしょうね。
実は数日前に、知り合いのテレビディレクターから電話がありました。「震災から2ヶ月半が過ぎ、障害者の就労について取材することになった。当初は地元の手話通訳者を手配していたのだが、突然のキャンセルになってしまった。手話通訳をお願いできないでしょうか?」という内容でした。現地では手話通訳者も被災しています。直前でのキャンセルはやむを得ないことでしょう。
私は震災後から、何か自分が役に立てることはないかとずっと考えていましたし、行き先が昨年訪れた気仙沼だったことからお引き受けすることにしました。
この間入っていた予定を延期していただいた皆さんには大変申し訳ないのですが、上記のような事情なのでどうか私の勝手なわがままをご理解ください。

という訳でブログは毎日書き続けますが、2~3日間更新はできないと思います。東京に戻りましたら現地の様子をまた皆さんにご報告させていただきます。
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