結婚をかけた腕相撲 ― 2014年01月04日 21時22分14秒
<八重の桜>
NHKの大河ドラマ「八重の桜」。前半の「会津時代」は月に一度見る程度、後半の「京都時代」は全く見ていませんでした。
ところが先日テレビで総集編をやっていたのでやっと全体のあらすじを知ることができました。
<腕相撲>
私が一番印象に残ったシーンは、大山巌が捨松にプロポースをした時に、八重が、「もし私が勝ったら結婚は許さない。負けたら結婚を許す」と大山に腕相撲を提案するシーンです。これは史実とは全く異なっているそうで、ネットなどでは「いくら視聴率が悪いとはいえ、やりすぎだ!」という書き込みが目立ちました。ただ、これはドキュメンタリーではなく、歴史を題材にした作り話なのですからねぇ、私はとっても面白いと思いましたよ。
<日本社会に受け入れられなかった最初の帰国子女>
ところでこの捨松(すてまつ)さんというのは女性なのですが、どうして捨松なんて名前がついたのかと思って調べてみました。
実は生まれたときには「さき」という名前でした。鶴ヶ城が攻められたときに飛び込んでくる不発弾に濡らした着物を被せ、その爆発を防ぐという「焼玉押さえ」という危険きわまりない技を八重から教わり実践します。
そして11才の時にアメリカへ留学。今とは違い、あの時代に11才の女の子が海外へ行くというのは命がけのことですね。母親が「娘のことは一度捨てたと思って帰国を待つ(松)のみ」という思いから「捨松」と改名したとのことです。なるほどと納得しました。
22才で帰国しますが、洋服を着て、ことばも考え方も米国流になった捨松を当時の日本社会が受け入れるわけはありません。今でも帰国子女がいじめられるという話しを聞きますが、捨松は「生意気だ」、「アメリカ女」と蔑まされます。
NHKの大河ドラマ「八重の桜」。前半の「会津時代」は月に一度見る程度、後半の「京都時代」は全く見ていませんでした。
ところが先日テレビで総集編をやっていたのでやっと全体のあらすじを知ることができました。
<腕相撲>
私が一番印象に残ったシーンは、大山巌が捨松にプロポースをした時に、八重が、「もし私が勝ったら結婚は許さない。負けたら結婚を許す」と大山に腕相撲を提案するシーンです。これは史実とは全く異なっているそうで、ネットなどでは「いくら視聴率が悪いとはいえ、やりすぎだ!」という書き込みが目立ちました。ただ、これはドキュメンタリーではなく、歴史を題材にした作り話なのですからねぇ、私はとっても面白いと思いましたよ。
<日本社会に受け入れられなかった最初の帰国子女>
ところでこの捨松(すてまつ)さんというのは女性なのですが、どうして捨松なんて名前がついたのかと思って調べてみました。
実は生まれたときには「さき」という名前でした。鶴ヶ城が攻められたときに飛び込んでくる不発弾に濡らした着物を被せ、その爆発を防ぐという「焼玉押さえ」という危険きわまりない技を八重から教わり実践します。
そして11才の時にアメリカへ留学。今とは違い、あの時代に11才の女の子が海外へ行くというのは命がけのことですね。母親が「娘のことは一度捨てたと思って帰国を待つ(松)のみ」という思いから「捨松」と改名したとのことです。なるほどと納得しました。
22才で帰国しますが、洋服を着て、ことばも考え方も米国流になった捨松を当時の日本社会が受け入れるわけはありません。今でも帰国子女がいじめられるという話しを聞きますが、捨松は「生意気だ」、「アメリカ女」と蔑まされます。

<今さらながら>
ところで、この物語は江戸時代から明治時代にかけてが舞台です。私たちは1968年が明治元年と歴史で習いますが、もちろんそこで江戸から明治へスパッと時代が変わるわけではありませんね。
西南戦争が終わるのは明治10年(1877年)。戊辰戦争から9年後のこと。つまり明治維新から9年かかって武士の世が終わりを告げるというわけですね。
ちなみに私たちが手話を学ぶとき、「明治11年に京都で初めて聴覚障害児のための学校ができた」ことを教わりますが、改めて日本が内戦をしていた翌年に、よく障害児のための学校ができたのだなあと驚かされます。
<一日で退いた指揮官>
さて話しを八重の桜に戻しましょう。その捨松にプロポーズしたのは、鶴ヶ城総攻撃を指揮したとされる大山巌です。ただ、大山は城総攻撃の初日に鉄砲で内ももを打ち抜かれ、翌日に後方に送られています。その時城には年寄りと少年しかいなかったので、もしかすると大山を撃ったのは八重だったのかもしれないといわれています。いずれにしても大山は初日しかその場にいなかったために、実質的には城を攻め落とした総指揮官ではなかったわけですね。
大山が指揮し城へ撃ち込んだ砲弾を、幼少の捨松が身を挺して防ぎ、その大山の足を打ち抜いた八重。その後、その大山が捨松にしたプロポーズを八重が腕相撲で阻もうとするというのは、ドラマとしては良くできた面白い展開だと思います。
その後、大山巌と捨松は完成したばかりの鹿鳴館で結婚パーティーを開きます。
ダイジェスト版とはいえ、その他にも見どころが多い総集編をたっぷりと楽しませていただきましたよ。
※歴史に疎い私の感想ですので、間違っているところがありましてもどうぞお許しください。またぜひご指摘くださいね。
ところで、この物語は江戸時代から明治時代にかけてが舞台です。私たちは1968年が明治元年と歴史で習いますが、もちろんそこで江戸から明治へスパッと時代が変わるわけではありませんね。
西南戦争が終わるのは明治10年(1877年)。戊辰戦争から9年後のこと。つまり明治維新から9年かかって武士の世が終わりを告げるというわけですね。
ちなみに私たちが手話を学ぶとき、「明治11年に京都で初めて聴覚障害児のための学校ができた」ことを教わりますが、改めて日本が内戦をしていた翌年に、よく障害児のための学校ができたのだなあと驚かされます。
<一日で退いた指揮官>
さて話しを八重の桜に戻しましょう。その捨松にプロポーズしたのは、鶴ヶ城総攻撃を指揮したとされる大山巌です。ただ、大山は城総攻撃の初日に鉄砲で内ももを打ち抜かれ、翌日に後方に送られています。その時城には年寄りと少年しかいなかったので、もしかすると大山を撃ったのは八重だったのかもしれないといわれています。いずれにしても大山は初日しかその場にいなかったために、実質的には城を攻め落とした総指揮官ではなかったわけですね。
大山が指揮し城へ撃ち込んだ砲弾を、幼少の捨松が身を挺して防ぎ、その大山の足を打ち抜いた八重。その後、その大山が捨松にしたプロポーズを八重が腕相撲で阻もうとするというのは、ドラマとしては良くできた面白い展開だと思います。
その後、大山巌と捨松は完成したばかりの鹿鳴館で結婚パーティーを開きます。
ダイジェスト版とはいえ、その他にも見どころが多い総集編をたっぷりと楽しませていただきましたよ。
※歴史に疎い私の感想ですので、間違っているところがありましてもどうぞお許しください。またぜひご指摘くださいね。
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