リンゴを食べるときは、会津の人に感謝しなければ!2015年01月22日 19時58分08秒

いゃー、今朝のマッサンには久しぶりに泣かされましたよ。

マッサンとエリーは熊さん(熊虎)を頼って北海道へ来たものの、「何でも任せろ」と豪語していた熊さんは、実は借金まみれの生活でした。それは2年連続してニシン漁がうまくいかなかったためです。
きのう組合長さんが熊さんを、「往生際が悪い。それでも会津の男か?」とののしった時には、ふたりの関係についての詳細はまだわかりませんでした。

0122それでも会津の男か

さて。今日の放送では・・・
マッサンはウィスキーができるまでの繋ぎにりんご汁を売りたいと、りんご組合長さんを訪ねます。すると、こんな話しを聞かされます。

「これは日本で初めて実を付けたリンゴの木。今から35年前のことだ。親父たちがここに来たのはその8年前の明治4年だ。おれたちの親父は会津の侍だ。時代が明治に変わって親父たちは逆賊の汚名を着せられ、無理矢理、船に押し込まれてこの北海道に流された。親父たちは刀をクワに持ち替えて生きるか死ぬかで土地さ耕して、まずそばや豆を撒いた。だけどクマは出る、キツネやウサギは出る。やっと実った作物を夜中にシカが喰っちまう。まさに自然との闘いだ。父っさまの手はいつもマメだらけ、おっ母の手はいつもあかぎれだらけだった

「やがて開拓使からリンゴの苗木が配られた。親父たちはワラにもすがる気持ちで見たことも喰ったこともねぇリンゴの木を植え、必死で育てた。4年目にやっと実がなった。なんでそこまで我慢できたと思う?それは親父たちが会津の魂、武士の誇りを捨てなかったからだ。会津だけじゃねぇ。北海道には日本中から大勢の人が移り住み、厳しい自然と向き合って自然とともに生きたんだ。そして死にものぐるいでこの大地に根付いたんだ。だからおらたちは、どんなことがあってもこの土地を守っていかなくちゃなんねぇんだ。」

その大切な土地を捨てた熊虎は、会津の仲間たちから裏切り者と言われるようになったのです。しかし、熊虎が北海道を離れ、青森に行ったのにも彼なりの理由がありました。北海道に戻った自分を唯一受け入れてくれた妻を幸せにするために、熊虎はニシン漁師として必死で働きます。しかし、成功し立派な家を築き、幸せな生活を目前にして、妻は病死してしまったのです。

・・・それにしてもリンゴの実がなるまでに4年もかかったなんて。開拓者の人たちの血のにじむようなご苦労があったからこそ、私たちは今北海道の大地の恵みを口にすることができるのですね。じゃがいもやリンゴなどは自然にその辺から出てくるというものではありませんよね。
こうしてドラマを見るだけでも先人たちへの感謝の気持ちが湧いてきます。今度リンゴを口にする時には、まずひとこと会津の皆さんにお礼を言ってからいただこうと思います(笑)!
さて、マッサンとエリー、熊さんと子供たち、そして組合長・・・明日はどうなりますでしょうかねぇ。