私のくつろぎのスペース2011年12月21日 19時05分25秒

1221私のくつろぎスペース
12月21日『私のくつろぎのスペース』

今朝乗ったバスの運転手さんは、とっても素晴らしい人でした。「左に大きく回ります」とか、「ただいま信号待ちです」、「渋滞の影響で現在このバスは約10分遅れて運行しています」、「次の停留所では車イスのお客さまが乗車予定です。お急ぎのところ恐縮ですがご協力お願い致します」などアナウンスがきめが細かいのです。降車の客ひとりひとりに「お気を付けて」、「いってらっしゃい」とあいさつします。ある停留所では降りる人に「自転車にお気を付けください」と声をかけました。後ろから接近してくる自転車をミラーで確認しての一言でした。素晴らしいですね!朝から何だか気持ちがよくなりました。

さて私は日曜日から浜松に来ています。私が滞在しているホテルの部屋は大変狭く、あまり落ち着かないのですが、1階に広いラウンジがあります。そこにはカフェにあるようなソファやバーカウンターもあり、何とお酒やコーヒーが飲み放題です。そしてパソコンも2台置いてあって自由に使えます。私は毎日、ホテルに戻ってから寝るまでのほとんどの時間をここで過ごしています。新聞や雑誌も置いてあり、ある意味自宅よりもくつろいでいるんじゃないかなぁ(笑)。しかもあまり利用する人がいないのでほとんど貸し切り状態なのです。今夜もここでブログを書いたり、雑誌を読んで過ごしています。

ただ、最近日課にしていた娘との百人一首ができないのはさびしいですね。百人一首といえば今年になってちょっと見方が変わった歌が二首あります。

「みちのくのしのぶもぢ摺り誰ゆゑに 乱れそめにし我ならなくに」
これは本当は「愛するあなたのせいで、私の心は東北地方の乱れ染めた布と同じように乱れています」という意味なのですが、なんとなく、震災以降、「私たちは被災地東北の人たちのことが心配で、胸を痛めています」というように聞こえてしまいます。

「ちぎりきなかたみに袖をしぼりつつ 末のまつ山波こさじとは」
さて、この歌は「宮城県の松林はどんな高い波でも超えることはないという。私を愛してくれたあなたもけっして心変りはしないと約束したはずなのにどうして・・・」という意味です。「まさかと思った相手の男性が心変りしてしまったように、まさか宮城の松林を超えるような高波が現実のものになろうとは・・・」千百年前に詠まれた和歌が、今年になってなんだかリアルに思えてきたりもするのです。
まぁ、そんな風に百人一首を解釈するなんて恐らく私ぐらいでしょうかね。今頃藤原定家もビックリしていることでしょう!(←ちょっとドヤ顔)

さて、私はホテルのラウンジでくつろぎタイムを過ごしつつも、早く東京で娘と百人一首対決をするのを楽しみにしているのです(笑)。