最終講義2019年03月24日 20時07分06秒

今日は、私の人生に大きな影響を与えてくださった先生のひとり、師岡文男先生の最終講義でした。場所は6号館101教室です。(写真は開始1時間前なのでガラガラですが)教室は大勢の人たちでいっぱいになりました。私たち教員にとって、6号館101教室の教壇に立つというのは夢のまた夢ですが、そこを満員にできるのも師岡先生だからでしょうね。

20190324101教室

先生は大学では必修科目で体育を教えています。新任の時に「学生の中には受験勉強ばかりして運動には興味のない子もいる。運動が苦手だという学生もいる。その人たちにどうやって運動の楽しさ、素晴らしさを伝えていこうか?」と試行錯誤の中でフライングディスクに出会います。(フリスビーというのは商品名なのだそうです)
そこからフライングディスクを国内に広め、国際組織の役員まで勤めるようになりました。その後も大学内にとどまらす、オリンピック誘致やスポーツ庁の仕事もされ、現在では世界的に活動されています。

20190324ご家族

おとといの卒業式でお会いした時に、「あさって(つまり今日)の最終講義の準備をしてないから謝恩会は途中で帰るね」と言いながら、結局最後までいて盛り上げてくださいました。それは人との繋がりを大切にする先生らしい側面です。

最終講義ではいろいろなお話をうかがいましたが、印象に残った話が3つありました。
ひとつは「一週間通う」です。先生が学生時代にやりたいと思った企画をある会社にお願いしたところ、断られてしまいました。普通の人ならそこで諦めますが、それから一週間毎日その会社へ通い、結局は相手に認めてもらったという話です。
もうひとつは、「いつも幹事」のお話。先生は飲み会やパーティーではいつも幹事をやるそうです。カードで支払うとマイレージが貯まりますね。すると先生は「オリンピックには出るがメダルの取れない貧しい国」の人と会う場合、その旅費を貯まったマイレージ補うそうです。
3つめはオリンピック憲章の話。その中にはハッキリとメダルの数を国別で表示してはいけないと記されているとのこと。メダル授与の時にその個人の名誉を称えるために国旗掲揚と国歌が流れますが、メダルはあくまでも個人に渡されるものだという話でした。

20190324師岡先生

私が専門学校に入ったのが1979年4月、そして師岡先生が教師になられたのも1979年4月です。恐らく私は先生の最初か2年目の生徒のはずです。

先生、40年間に渡りご指導いただき本当に、本当にありがとうございました。