260の島と瑞巌さんが守ってくれた(松島)2011年05月24日 21時17分41秒

昨日は、東北本線を一ノ関から仙台へ向かいました。車窓には田植えを終えた、のどかな田園地帯が広がっていましたが、愛宕駅あたりから水が張られていない乱れた田んぼが目立ち始めました。

午後、松島駅に到着しました。

皆さんもご存じのように、東松島市では大きな被害が出ました。

震災後の主な地域の浸水率は、

南三陸町(宮城県)が52%
女川町(宮城県)が48%
石巻市が48%
だったのに対して
東松島市は65%でした。

特に宮戸地区や野蒜(のびる)地区では町全体が壊滅的な被害を受けています。

隣の東松島市が大きな被害を受けたのに対して、観光地である松島町の被害は、(もちろんいろいろあったのでしょうが)、そこまで大きくありませんでした。今回の訪問でも町中には少なくとも気仙沼のようながれきや、大型船を見ることはありませんでした。

気がつくのは、海岸沿いの多くの店舗が1階部分に被害を受けていて入り口をブルーシートで覆っていることと、前の道路を自衛隊の大型車両が何台も通ることでしょうか。


0522松島の町並み


また、海岸から離れたところでは瓦が落ちた家を数軒見かけました。これは阪神大震災後に被災地で見かけた風景に少し似ていました。


0522松島屋根瓦


海に面していながら、他の地区と比べると松島に比較的被害が少なかったのには、海の地形や海流などいろいろな要因が重なってのことでしょう。
それでも町の多くの人たちは、「前では260の島が、そして後ろでは瑞巌(寺)さんが私たちを守ってくれたから」と言います。島が津波の勢いを弱めたということに科学的根拠はないのかもしれません。しかし、松島に対する感謝と畏敬の念、そして厚い信仰心によってこの地域の人たちの心の平穏が守られているということは誰にも否定することはできないことでしょう。