娘さんからの手紙2018年02月04日 20時49分40秒

今日は友人のMと、いつも仕事でお世話になっているNさんと3人で元関脇朝赤龍の断髪式に行ってきました。

20180204朝赤龍

全部で250人もの人がハサミを入れます。そして止めバサミは高砂親方(元大関朝潮)です。断髪式を終えて朝赤龍が土俵を降りようとしたところ、9才になる長女のノムーンちゃんからお父さんへの手紙の朗読というサプライズの演出が!忙しい中、時間を割いて学校行事に参加してくれたことへの感謝の気持ちを滑らかな日本語で読み上げました。これは反則ですな(笑)。私も涙がこぼれそうになりましたよ。

20180204断髪式

はねた後は3人で両国駅前の「霧島」でちゃんこをいただきました。豚肉も鶏のつみれ団子もとても美味しかったです。
朝赤龍関のことは意外に知らないという人も多いので以下に私なりにまとめてみました。長文ですがお時間がありましたら是非お読みいただければ幸いです。

20180204ちゃんこ

<朝赤龍について>
16才の時モンゴルから海を渡って日本に来た。初めて乗った飛行機では彼も朝青龍も窓の外の景色が見たくて、最初は30分ごとに、そして最後には5分ごとに窓際の席に交代で座った。
入門してから、徐々に力をつけて番付を上げていった。結びの一番で相撲を取りたいという夢があったが、同じ部屋の朝青龍が3年半ひとり横綱だったためになかなか叶わなかった。朝青龍が休場した時に初めて結びで相撲を取り、勝利を納めた。
長く横綱土俵入りの時に露払いを勤めていた。朝青龍の断髪式の時にも露払いを勤めた。(その時の太刀持ちは大関だった日馬富士)その姿を私は今でもはっきり覚えている。朝青龍も日馬富士も暴力事件で引退したことは本当に残念だ。二人とは対照的に彼は穏やかな性格だった。
モンゴル人の女性と入籍したが幕内から十両に落ちていたので、挙式は自粛した。しかし、その後再入幕を果たし念願の挙式を行うことができた。
モンゴル国立大学の通信教育課程を6年半かけて修了している。努力の人でもある。
日本国籍を取得した時も、「自分はずっと日本で相撲に関わっていきたいし、親方にもなりたい。両親の反対もなかったので迷いはなかった」と語った。
いつも朝青龍の影に隠れる存在だった。しかしある意味、どのモンゴル人よりも日本の相撲に貢献し、私たちにたくさんの感動を与えてくれた力士だったと思う。
今日、その大銀杏に250人の方々のハサミが入っり引退、そして錦山親方を襲名した。

朝赤龍関、今までお疲れさまでした、そしてたくさんの感動をありがとうございました。

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