皆さん、気がつきましたか?2013年03月11日 20時34分56秒

今日は仕事でお茶ノ水に。朝、仕事場まで歩いていたら途中の建物の敷地に日の丸が掲揚されているのを見かけました。見ると半旗(旗を一番上ではなく途中の高さに掲揚すること)です。
0311半旗

今日は3月11日。もちろんこの半旗は東日本大震災で亡くなられた人たちに対する弔意を表したものだということはわかります。
でも、半旗って何となく気持ちが沈みませんか?
東北だけでなく、日本全体が、震災を乗り越えて「前に進もう!」という気持ちになっている中、半旗に少し違和感を覚えたのは私だけでしょうか?
「それはあなたが家族や親しい人を亡くていないからそう思うだけでしょ?」と言われれば反論はできませんが・・・。

今日は全国各地で、追悼式典などが開かれました。地震が発生した午後2時46分には渋谷や銀座などの街頭でも、追悼のための黙とうが行われました。

牡蠣は全部オス?2013年01月14日 17時20分18秒

<松島で牡蠣(かき)を食べました>
さて、宮城ツアーの続きです。松島に到着した私たち。まずは食事ということでお店を探しました。探している途中、「しばらくの間、当店の牡蠣は広島産になります」という看板を見ました。宮城県でも牡蠣の養殖が再開したと聞きますが、まだまだ水揚量は少ないのでしょうか。ちなみに全国の産地としては1位が広島で50%、2位が宮城で23%、3位は岡山で8%なのだそうです。
ところで牡蠣は漢字で書くと牡=オスという字がありますよね。牡蠣は全部オスなんでしょうか?調べてみるといろいろな解説が載っていました。
1)牡蠣は雌雄同体(オス・メスが一緒)である。産卵期はまず精巣が成熟しオス、その後卵巣が成熟しメスになる。
2)牡蠣は栄養を蓄えたものがメスになり、若いものや栄養が足りなかったものはオスになる。繁殖期が終わると中性化する。
3)貝は色の白いものがオスだが、牡蠣は全部白いので長い間「オスしかいない貝」だと考えられていた。
といろいろな説があるようです。

お店の前でイカやサザエ、ホタテなどを焼いている食堂に入り、焼き牡蠣定食をいただきました。いただいた牡蠣の産地がどこか、オスなのかメスかはわかりません。いずれにしても、とってもおいしかったことだけは事実です。ごちそうさまでした。
0114牡蠣

<松島巡り>
その後はみんなで遊覧船に乗りました。いろいろな形をした島がありましたが、私が一番きれいだなと思ったのは、鐘のような形をした穴が4つ空いている鐘島(かねしま)です。
0114松島

ところで遊覧船と言えば、カモメへのエサやりが有名ですよね。手から直接エサを食べてくれるのはうれしいものです。でもあんなに塩分・糖分たっぷりのスナック菓子をあげてカモメは大丈夫なのかなぁと心配になってしまいます。あなたたち、お菓子ばかりではなく、ちゃんと自分でも魚を採って食べてね(笑)。
0114かもめ

<瑞巌寺は閉門>
その後、五大堂でお参りをし、瑞巌寺に向かったところ・・・何と閉まっています。冬季は午後3時半に閉門するとのこと。えっ!早すぎますよね。メンバーの中には瑞巌寺へ行くことを楽しみにしていた人もいたので、計画を立てた私としては申し訳ない気持ちです。
ただ、以前は松島を訪れたときには1階部分のガラスが壊れていたり、シートを張っているお店を多く見かけたのですが、今回はほとんとのお店が営業を再開していました。そういう意味ではとてもうれしく思いました。

ツアーにご参加いただいた、てぃぐる渋谷のUさん、Sさん、てぃぐる千葉のYさん、Iさん、Nさん、トライアングルのMさん、Yさん、Kさん、Kさん、埼玉アリーナのMさん、Iさん、Yさん、Mさん、Nさん、Tさん、Sさん、横浜のKさん、Wさん、Nさん、ありがとうございました。そしてお疲れさまでした。

ここまで津波が到達しました2013年01月13日 21時53分12秒

<4回目の被災地訪問>
前日、仙台で開催された大きな手話イベント。
私が手話を教えている生徒さんたちに、「一緒に仙台に行きませんか?イベントだけではもったいないので、ついでに被災地を訪れたり、おいしいものを食べに行きませんか?」と呼びかけたところ、なんと男性1名、女性18名の参加申し込みがありました。中には友だちの友だちという人もいて、いったい誰が誰なのかわからない状態でツアーがスタート(笑)。
私としてはせっかく参加していただいた人全員と話をしたいと思って電車の中でもあちこち席を移動しました。いろいろな話を聞き交流を深めることができました。その中で今日初めて参加してくださった女性2人の話が印象に残っています。2人は、震災以降休みの度に毎月いや、ほぼ毎週東北に通っているそうです。今まで被災地に来たのは100回以上。閖上はいつもは車で通過するものの、訪れるのは初めてなのでと参加してくださったとのこと。以前は岩手、宮城での活動が多かったのが、最近では福島での活動の方が人手が足りず、部屋の掃除や庭の草刈りなどを手伝っているそうです。素晴らしいですね!

<ここまで津波が到達しました>
私たちが今回訪れたのは閖上(ゆりあげ)地区。ここは仙台空港から歩いていくことができます。仙台空港で押し寄せる津波に車がプカプカと浮いたり、大きな旅客機が流された映像を皆さんも覚えていることでしょう。
空港の中にはその時の写真パネルとともに津波が到達した3.02m地点に印が付けられた柱があります。みんな、ここまで波が来たのかと改めて驚かされました。
0113津波到達地点

<閖上には行ってはいけない>
空港を後にして、街へ向かいました。運河を渡ると元住宅地だったところなのですが、そこには一軒の家も残っていません。私たちは海の近くまで歩きました。一ヶ所、がれきが山のように積まれたところがありました。その上を飛行機が通過していきます。
0113飛行機

ところでメンバーの中には1人だけ仙台の人がいます。その人は父親に『絶対に閖上には行ってはいけない。あそこに行って津波の悲惨な様子を見たら、心に傷を受けこちらの精神状態まで支障をきたしてしまう。実際にPTSDになった人もいる』と被災地に入ることを禁止されていたそうです。それでも「今回思い切って参加して良かった、ここは幼い頃よく海水浴や花火を見に来た思い出の所なんです」という感想を聞いてホッとしました。

<取り残された家>
何もないところにポツンと一軒の家が建っていました。2階と山側は家が残っているのに、海側には柱しかありません。家の中にはグアムに旅行した時のアルバムや、友人からの手紙などが整理して置いてありました。でも、ご本人がどこかにいらっしゃるのならそれらを取りに来ているはずですよね。このまま家の中に残されているということは、この家の持ち主の方も海に流されてしまったのでしょうか。
多くの方が波に飲み込まれた事実を改めて感じ、海に向かって祈りを捧げました。
0113家

深夜のひとり打ち上げ2013年01月12日 23時50分21秒

<いろいろな反省はあるものの>
仙台に来ています。今日は震災復興支援のための大きなイベントが行われ、私は手話通訳を担当しました。
耳の聞こえない人の手話を日本語に訳す読み取り通訳はとても難しいもので、いつもなかなか納得のいく仕事はできないものです。今回もいくつかの反省点がありました。

・開会の挨拶で
×2001年 ○2010年
・燃えるゴミ箱から出てきたジュースの缶を手にして
×「缶!」 ○「コーラ!」
・頑張っている仲間に対して
×「あなたも聞こえる人の中で頑張っているじゃない?」 ○「タマちゃんも・・・」
・マジックで
×20ドル紙幣、5千円ぐらいです ○20ドル紙幣、3枚で5千円ぐらいです
あこがれのスターに
×ラブラブです ○メロメロです
・身長が同じならかえって(ダンスを)合わせやすいのでは?
・照明さん、音声さん
・デフリンピック
・登竜門としてマイケルジャクソンも出演した

それでもまぁ全体的には及第点をあげられる通訳だったのでは・・・。と自分で自分を褒めてあげているところです。

<ここは特等席>
さて、手話を読み取る場合、一般的に舞台に一番近い席の中央に座ります。この席からだと、パフォーマーの表情、息づかい、躍動感がガンガン伝わってきます。ある意味で一番の特等席ですよね。

「バカンス」裸足で=靴を脱ぐところ
「古時計」今はもう動かない=ひとりの振り子を止める
休まずに=ずっと
エジソン
×「今年は良い年でした」○「良い年になりますように」
(出演者の読み取りミスをもうひとりがうまくカバーしていました)

ケータイ=指文字の「ケ」
AB=遠くの席からでも見えるように腕を使って
MC名前(大阪) 新聞=「ヤ」(岩手?)

出演者の皆さん、今日は感動的なステージ、本当にありがとうございました!

<確認することが大切>
それからひとつこんなことがありました。「フレンド」の歌の中で、歌詞とは少し離れて素敵な表現がありました。手話がわかる人にはそれが理解できるのですが、わからない人には全く伝わりません。それではもったいないので、ここは日本語に訳したほうが良いのかなともうひとりの通訳者と話をしました。でも私たちが勝手に決める訳にはいかないのでパフォーマー本人に確認をしてみると「私はなんとか聴こえる音楽にタイミングを合わせて歌っているので、そこにノイズ(読み取りの音声)が入ると曲がわからなくなってしまうので」と断りの返事でした。やっぱり自分たちだけの判断で決めるのではなく、本人に確認をするということが大切だ(当たり前のことですが)と痛感しました。

<胃が痛い>
さて、イベントが無事に終了。まずはホテルに荷物を置き、すぐに打ち上げ会場に向かう予定だったのですが、長旅の疲れか、緊張の糸が切れたのか、突然ものすごい胃痛に襲われました。なんとか部屋までたどり着き、ベットの上で唸りながら痛みにこらえているうちに、いつの間にか寝てしまいました・・・そして、ふと目を覚ますと真夜中の12時半!えっ?すでに打ち上げは終わっている時間です。
他のスタッフや出演者たちには「じゃあまた後で」「打ち上げて飲みましょう」と言って会場を出たためにケータイには、「場所わかりますか?」「打ち上げに参加しますか?」「大丈夫ですか?」などメールが多数届いていました。
あーっ、皆さん、ゴメンナサイ!それにしても楽しみにしていた打ち上げに出られなかったのは本当に、本当に残念です。
そんな訳で夕食も食べずに寝てしまった私。幸い腹痛も収まったので、深夜にホテルの部屋で、お茶とスナック菓子のひとり打ち上げをやっているところです。(笑そして涙)
0112ひとり打ち上げ