生涯蛸の絵を描き続けた男の話2012年05月09日 16時39分34秒

5月9日『生涯蛸の絵を描き続けた男の話』

突然ですが、あなたは蛸(たこ)の絵を描けますか?
そういうと、多くの人が思い浮かべるのはきっとこんな絵だろう。

0509みんながよく描くタコの絵

そう、頭が丸くて、両目の下にとんがった口があり、そしてその下に足が8本ある絵だ。
しかし、本当の蛸はそんな可愛らしい姿ではなく、むしろこんな感じだ。

0509本当のタコの絵


頭は大きく後ろに垂れ下がり、目は顔の両端。そして人間で例えるなら耳の後ろ辺りから口が出ている。どう見てもグロテスクな生き物だ。

その蛸の絵ばかりを生涯書き続けた画家がいる。林朱鮮(リンシュセン)という画家だ。
普通、画家というのは自分が収入を得るために描く絵(つまり肖像画だったり、きれいな風景だったり、人が部屋に飾りたいと思うような)を描きながら、同時に自分の描きたい絵(自分の心の中にある叫びや衝動など)を描いている。後者の絵はわからない人にはわからない(人にこびていない)ものである。誰も部屋に腐った果物やドクロの絵を飾りたいとは思っていないからだ。それでも芸術家は自分のためにそういう絵を描くのだろう。

しかし、朱鮮は前述の2枚の絵が同一である。実に彼の作品に蛸以外のものを書いたものは一点も存在しないのだ。
(以前、実学館書店が朱鮮に桜と蛸、すすきと蛸、富士山と蛸などを並べて描かせて出版したことがあるが、その本は全く売れなかった。よく考えればそんなものが売れるはずもない。)

蛸の絵といえば、北斎が描いた女性と大蛸が絡み合うエロチックな絵や、国芳の擬人化された蛸が相撲を取っている絵(行司までが蛸)などを思い出す。しかし、朱鮮の蛸の絵は過去のどんな画家の作品にも似ていなかった。

私は昔一度だけこの林朱鮮を取材したことがある。取材といっても相手は無口な人でほとんどしゃべってはくれない。一週間ほどアトリエ兼自宅に通ってわかったことは、彼は子供のときから絵のテーマが「お母さんの顔」であっても、「遠足の思い出」、「夏休みの出来事」であってもいつも決まって蛸の絵を描く。それには教師も友だちも驚き、彼を変人扱いした。小学校3年までは明るくてよくしゃべる子どもだったと本人は言っていたが、(私はあまり信用していないのだが)とにかく周りの冷たい視線が彼を無口な人に形成していったことは間違いなさそうだ。
「林先生はどうして蛸の絵ばかり描くのですか?」私はある日思い切って質問してみたら、本人も「それは自分でもよくわからないのです」という答えが返ってきた。先生にしてみれば自分が書いているのではなく、手が勝手に(または神様に頼まれて)蛸を描いているというような思いなのかもしれない。

年号が「月豊」から「銀夏」に代わって2年ほどたった5月のある日、林先生の訃報を編集部で聞いた。ひとつのことに-ただ蛸の絵だけを描くことだけに-生涯を捧げた男がひとり静かにこの世を去った。

『生涯蛸の絵を描き続けた男の話』銀夏2年5月9日
(この物語はフィクションです)