幸せとはすぐ近くにあるもの2012年03月10日 18時13分09秒

0310キンメダイ
3月10日『幸せとはすぐ近くにあるもの』

ワタシは30才の時に智恵子と結婚をした。小学生の頃から自分はきっと生涯独身で過ごすことだろうと思っていたので、友人の紹介で智恵子と出会い、そして結婚ができたことは今でも不思議だと思っている。
智恵子は明るい性格で、しばらくは楽しい新婚生活を送っていたが、結婚して5年ぐらい経った頃、妻が肺病を患ってからだんだん家の中から笑顔と会話が消えていった。
ちょうどその頃、ワタシはパソコンを購入した。当時は、まだ現在のように一般家庭にパソコンが普及していなかった時代で、パソコンのことを(マイコンピューターを略して)マイコンと呼んでいた。ワタシは家に帰るとすぐにパソコンの前に座るようになった。自分のホームページを作ったり、いろいろな人とメールでやりとりをすることに夢中なっていった。
ワタシはそこに、映画や読んだ本の感想、ラジオで聴いた話などを日記として書いていたのだが、始めてから2年ぐらい経ったころから、いろいろな人がコメントを書いてくれるようになった。本名の人もいるが、多くの人がニックネームを使っているので、それが誰なのかはわからなかった。
そんな中に「コメットさん」という人がいた。どこの誰だか、男か女かすらわからない。あるときは少年のようで、あるときは老婆のようでもある。しかし、コメントはいつもワタシの気持ちに寄り添い、包み込むような優しさがあった。ワタシは週に2回ぐらいつくコメットさんからコメントを何よりも楽しみするようになっていった。
それに対して病床の妻は話題に乏しく、毎日のワイドショーから仕入れる話はどれもかび臭い。ワタシはだんだん妻の話を上の空で聞くようになっていった。ワタシは次第にコメットさんに会ってみたい、その人が女性だったら良いな、そしてもし妻がこの世からいなくなれば・・・などと恐ろしいことを考えるようになっていった。家の外にも内にも友だちのいないワタシは、コメットさんがワタシの唯一の味方で理解者だと思うようになっていった。

時は流れて、平成23年も終わりに近づいた頃から智恵子の体調は徐々に悪化し、12月初めのある朝、妻の体は冷たくなっていた。だがワタシは不思議と悲しくなかった。むしろ、あぁやっと解放されたというのが正直な気持ちだった。
葬儀、初七日、四十九日と歳月は過ぎていった。その間もワタシはぼんやりと週に1~2回のペースでホームページに日記を書き続け、最近では以前のようにほぼ毎日書くようになっていた。
しかしある日、ワタシはとても大切なことに気がついた。そういえば最近、コメットさんからのコメントがない。2月、1月・・・12月。日記の日付をさかのぼってみると最後のコメントは12月6日。そう智恵子が亡くなる前日の日付だった!ワタシは自分か負担だと感じていた人と、唯一の理解者だと思っていた人を同時に失っていたのだ。

今ワタシはパソコンの前に座っている。画面には「ブログを全て削除しますか?」の表示が出ている。右手の中指はエンター(実行)キーの上だ。薄れゆく意識が完全に途切れてしまう前に、その中指でキーを押さなくてはと思っている・・・
ありがとう智恵子、ありがとうコメットさん。
空になった睡眠薬のビンが今デスクから床へとゆっくりと落下した。

(この物語はフィクションです)